ノとナ | typの推しつ推されつ

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「君と私」という映画を観た。


https://youandi-film.com/


2014年4月16日に起こった修学旅行でチェジュ島へ向かっていた高校生250人を含む304人の命を奪ったセウォル号沈没事故。その前日、とある高校で翌日に修学旅行を控えた女子高生が教室で居眠りをしていて夢から覚めるシーンから始まり、事情で修学旅行に行けない同級生に「行ってくるね」と別れを告げるまでの10数時間を描いた作品なのだが、このわずかな時間の濃密なこと。


この翌日に悲劇が起こると知りつつ観る観客としては、仲たがいした主人公セミとその同級生ハウンの間のエモーショナルなあれやこれや(このあれやこれやがなんともリアルで、他の同級生たちも巻き込んでの会話劇が可笑しかったり切なかったり)を経て心を通わせる終盤には激しく胸を締め付けられた。


翌日友を失うことを運命づけられたハウンはたまたま家の事情で修学旅行に行けなかったがゆえに学年全員の中でたった1人の生き残りになってしまうのだが、もしかしたら何かの拍子で立場は逆転していたかもしれない。


この映画の原題は「ノワナ」といい、「ノ」が「君」、「ナ」が私という意味で発音が近くてこれもまた立場がともすれば入れ変わりやすいことを暗示しているようにも見える。


冒頭シーンの夢の中では主人公セミは死んでいるハウンを発見するのだが、死にゆくのは自分だったわけで、他の同級生たちも何かの巡り合わせで違う世界線をたどっていたかもしれない。


もしかしたら観ている自分もいつかどこかの世界線でセウォル号に乗っていたかもしれない、などと思ってしまう。


映像が露出オーバー気味で鏡に使った演出を多用していることから全体的に夢うつつのような雰囲気が醸し出されていて、ラストシーンのバックで「行ってくるね」「愛してるよ」という声が繰り返し再生され、やがて声がどんどん増えていき大勢での大合唱になっていくという演出もまた幾多の世界線の交錯を感じさせて痺れるような感覚になる。


これらの世界線はひとつひとつ固有名をもっていてそれらの名前に向けて手向けられた歌がこちら。



IUの珠玉の名曲、イルムエゲ(名前に)。英語では"dear name"という曲名になっていて、報道では304人の被害者とくくられてしまう名前を持ったひとりひとりに向けて、手紙を送るように痛切な思いが綴られた歌である。


夢の中でも恋しいその声は、名前を呼んでも返事がなくて


涙を浮かべた そのこだまだけが返ってくる

その音を、私一人で聞いている


割れるように冷たくても、今度は決して離さないよ はるか遠ざかった あの日の両手を


果てしなく長かった 深く暗い夜の間で

静かに消えていった あなたの願いを知っているよ


ずっと待っているよ、必ずあなたを見つけるから

見えないほど遠くても 行こう この夜明けが終わる場所へ


いつも必ず私の前に立っているあの子は

うつむいても 決して泣こうとはしない


かわいそうで手を伸ばせば 逃げてしまい

空っぽの虚空を 私一人で抱きしめる


切り裂かれるように痛んでも、今度は決して忘れないよ 長い間 一人で寂しく待っていたその言葉を


果てしなく長かった 深く暗い夜の間で

永遠に消えてしまった あなたの願いを知っているよ


ずっと待っているよ、必ずあなたを見つけるから

見えないほど遠くても 行こう、この夜明けが終わる場所へ


何度も失った 寒く過酷な日々の間で

静かに忘れられた あなたの名前を知っているよ


立ち止まらないよ、何度だって叫ぶから

信じられないほど遠くても 行こう、この夜明けが終わる場所へ


この歌詞では「名前」と抽象化されているがリンク先の動画のパフォーマンスでは、パフォーマーたちが次々と「私の名前は…」と名乗る演出がなされており、固有名と顔を持った数多くの世界線の存在に心を打たれる。


ノワナのワは「と」という意味だが、韓国語では「ラン」いう単語も「と」を意味していて、それを使うと「ノランナ」となり、ノランナと言えばIU初期の名曲のこの歌。



動画を視聴すればわかるように歌い手が歌っている間に観客が所定の掛け声をあげて応援するならわしがあるのだが、何年か前のファンミーティングの趣向で、ノとナを入れ替えてナランノというタイトルにして観客が歌ってIUが掛け声をかけるというのがあり、



アーティストとファンがお互いに応援、喝采をしてひとつのコミュニティとして頑張っていこうというなんとも人徳のあるパフォーマンスに猛烈に感動。