自由を手に入れようと

PTA役員を始めた私。



当時、30歳。

モンキチ(上の子)5歳、

ポチ(下の子)3歳。


下の子が幼稚園に入ったのをきっかけに

ちょっとしたパートにも出ることになった。


小さな会社の雑用だった。



ここから

私の生活は一変した。



仕事とPTAという

キラキラ2つの大義名分キラキラ

手に入れたわけだ。



家から定期的に出かける仕事。

これは最高だった。


鬼姑と

いままで24時間セコム態勢で

一緒に時を過ごしてきた私にとって



仕事


という響きは

この上ない自由への

階段だった。



電車に乗って出かける。

この時間は

たとえ10時~2時という

限られたものであっても

最高に私を癒してくれた。


自由を手に入れ、

鬼姑と離れられ、

さらにお金までいただける。


それ以来、

私はずーっと

仕事を続けている。


途中で転職はしたものの

その時その時の

子供の都合に合わせ

時間をうまく調整しながら

働くことができた。


これは運がよかったのかもしれない。

恵まれていたのかもしれない。


働き始めたときは

週3日で10時~2時。



仕事の変化によって

勤務体系も変化してきた。


週1日になった頃もあった。


仕事のない日は

PTAで出かけた。


PTAに合わせて

仕事を変更することもできたので

その点は、ありがたかった。


子供が大きくなるにつれ

勤務時間を延ばすことができた。


そのうち毎日来てくれと言われ

週5日で10時~5時勤務になった。


帰り道は寄り道し放題。

鬼姑には

何をしているかわからない。


同居嫁は

働くべきだと思った。



家になんて

居場所はないのだから。



無理やりそこに

居場所を作ろうとも思わない。



それだけ家に

執着心はなかった。


自分たちが建てた家でもなかったので

思い入れは全くなかった。



30歳で初PTA

32歳でセカンドPTA

幼稚園で2回やりました。


まぁ、この2回目のPTAでも

いろいろあったんだよね。


そのあたりのことも

改めていつか記事にしたいわ。


33歳で3回目のPTA

    (ポチ1年生のとき)

36歳で4回目のPTA

    (モンキチ6年生のとき)

40歳~5・6・7回目のPTA

    (モンキチ高校1年~3年)

42歳で8回目のPTA

    (ポチ中学3年のとき)※上記モンキチとのWPTA

   ↑一番いろいろありすぎたPTA(記事になってます)



こんなかんじで

私はPTA人生を

いつの間にか送っていました。


いろんな人との出会いがあり

さまざまな人間模様がありましたが



今、言えることは

PTAやって、よかったなということ。


嫌なこともたくさんありました。

けど、それ以上に

いいこともたくさんありました。


かけがえのない友人にも

出会えました。


私を人として

成長させてくれたのは

きっと、嫌な思いをさせてくれた

人たちなんだろうなって思うし。


その嫌な思いを

させてくれるうちの一人である鬼姑も


大嫌いではありますが

感謝していますよ。



こんなふうに

駆け足のように

PTAと共に30代を過ごしてきました。



PTAと仕事を

逃げ道にしてきたのかもしれませんが




同居には

確実に逃げ道が必要です。


どうか皆様も

うまーく、うまーく

逃げ道を見つけてくださいませ。


私もまだまだ探索中であります。



どうやら、
自由への道のりは

遠く険しいものみたいですにひひ