病院からの呼び出し以来、
やたらとあちこちに電話して
くよくよ、メソメソ話をしている鬼姑。
何がしたいのかは
だいたい見当がついてます。
20年、行動観察を続けていれば
誰でもわかるでしょう。
ただ、
人から、
『大丈夫』と
言ってほしいだけです。
ご近所さんをつかまえては
自分の悲劇っぷりをアピール。
まだ何も言われてないのに、
よくもまぁ、
想像だけで、あれだけ語れるわ
だいたいは、こんなかんじです。
『もう家の借金もおわって、
やれやれと思って
これからは自分のことを
やっとできると思ったのに
70過ぎて、これだがね。
今から、いろいろ
楽しもうと思っとったのに
四国もまわりたいと思って
妹たちと約束しとるのに
病気になってまったで
そっちにお金いるで
もうどっこも行けれーせん
わたしの人生いったい
なんだったんだろう
でもね、
まぁ、嫁さんが
ついてきてくれるっていうで
それだけは
ありがたいなと思って。
誰に聞いても
そんなの
嫁さんなんかついてきてくれん
っていうでさ。
まだわたしは幸せかなと
おもっとるんだわ。
いつもはわーわー言っとるけど
こういうときだけは
ちゃんとやってくれるでさ。
ありがたいと思わないかんよね。
息子なんか
声もかけてもくれんし
娘だって、
やっぱり外にやった子だで
いかんね。
うん、がんばるわ、あたし。
ありがとね、
うん、がんばる』
とまぁ、こんなかんじ。
ちょいちょい
カッチーンとくるところもありますが、
そこはスルーして
聞き耳たててみました
勘違いしてくれてるけど、
言わせてもらえば、
私は、
わたしのためにやっているのであって、
一切、鬼姑のためではないということ。
どういう意味かわかります?
あとから旦那や義妹に
お前は何もしなかったと
言われないためですよ。
そして、
自分の親のもしもの時に
自由に動くためですよ。
鬼姑のことをしておけば、
旦那や義妹から、
文句を言われることが
ないんじゃないかってね。
文句を言う資格を
うばうことができるんじゃないか
って思ってね
ぶっちゃけ、
相当な計算で、動いてます。
だって、
これまでの20年分の嫌がらせを
忘れることなんて
できないじゃないですか。
具体的なことは
覚えてはいませんよ。
でも、嫌な思いを
相当したってことだけは
私の中に、
深く残ってるんです。
それを帳消しには
できません。
わたし、そこまで
神様みたいじゃありませんから。
だからといって
一切鬼姑のことを
しないというのは・・・
これまた違うと思うんです。
だから、
私は、
鬼姑のためじゃなく
自分のためにするんです。
少々ゆがんでいるとは
思いますが、
これが私の生き方・・・
みたいなもんかな。
火曜日は、
しっかり話を聞いてきます。