こんにちは、「てち」です。




私に楽しいことがあると
必ず鬼姑から何かを仕掛けられることになります。





たぶん、
私が、会社だの、役員だの、友達だのと
出歩いたりしているのが
気に入らないんでしょうね。




自分に子守りを押し付けて、
遊び歩いてやがる…
ってな感覚でしょうか。




子守りなどという年頃は
とうの昔に通りすぎていると思ってるので

全く罪悪感とかはないんですけど、
全く感謝がないかと言われたら
そうでもないんですよ。



でも、所詮、
嫁のやることですから
何をしても気に入らないんだと思います。



現に昔、
出掛けると嫌味を言われるからと
嫌味を言われないためには、
出掛けなければいいんだと





ほとんど引きこもりになっていた頃があるんです。





今の私からは想像できないことだと思いますけどね。


あったんですよ、私にもそんな時期が。







そしたらね、
引きこもりでも、嫌味を言われたんです…。







『たまには子供をどっかに連れてってやれ
私は昔は休みの度にあちこち連れてってやったもんだわ!
かわいそうに』


とか、


近所の人に
『どっこも行かずに家でじーっとしとるんだわね、
うちの嫁もどっか誘ってやってよ~』




とかね。






そりゃあもぉ
毎日の生活が、苦痛で苦痛で仕方ありませんでしたよ。




何をしても、何もしなくても
全て何かを言われることになるわけですから。





そんな生活がいつから変化していったのか…。



やっぱりそれは
ポチ(下の子)も幼稚園に入った年からでしょうね。


幼稚園の役員を引き受けたことと、
仕事に出るようになったことが、きっかけだったと思います。




当然、役員会なんかがありますし、
その役員で仲良くなったお母さんたちと
モーニングやランチに出掛けるようになりました。


仕事にも行き出していたので少しばかりの収入もあり、
お金で後ろめたい気持ちもなく、
自分の稼いだお金で行くランチは
それは楽しいものでした。




外に目を向けるようになり
本来、人好きな私は
水を得た魚のように
生活が輝き始めたのでした。




たかが、モーニングやランチの約束ではありましたが

そのおかげで
鬼ヶ島の生活が、がんばることができたんです。




結局、誰かに何かをしてもらうのを
ずっと待っていたら
今の私はなかったんでしょうね。



そのタイミングで求人をみつけたのも
偶然だったのか、めぐりあわせだったのか。

役員になったのも、
めぐりあわせだったのでしょう。




その会社には今もまだ通っているのですから
これもまた、すごい縁ですね。
12年目になりますもの。

当時、年少さんだったポチ(下の子)が
今、中3なんですもの。




そんな歴史の中で
自分を変えていったきっかけは
やっぱり自分自身だったんだなぁって思うのです。



だって、鬼姑は、何も変わっちゃいませんしね。



何も、別居ばかりが解決策とは限らないと思ったし


同居というゲームをクリアするためには
途中で投げ出すのも性分じゃなかったし。


なら、自分自身の意識改革をするしかないって
無意識に感じていたのかもしれません。




ただね、楽しかった後には
今でも必ず、鬼姑に突き落とされます。


けど、次の楽しいことがあるから
またがんばれる。




その、繰り返しで
生きてきたように思います。




先週の飲み会のあった晩、
例に漏れず、ひとさわぎありました。

後日、ブログにしますけど、
その騒動の翌日に
鬼姑にこう言われました。
『もっとポチ(下の子)に愛情をかけてやらないかんのだわ
愛情が足りないからああなるんだわ』
とね。



そっくりそのまま鬼姑に返してやりたい言葉でしたが、
そのまま飲み込んでスルーしました。


こうやって飲み込んだ言葉が
ポリープになってんのかなガーン
なんて、考えながらね。




今日は敬老の日。

ごめんなさい、
とても敬うなんてできない義両親です。


母の日も鬼姑に取られ、誕生日も祝ってやり、
さらに敬老の日ですと!?






だったら『嫁の日』も作れや!!


と、毎年思う、「てち」なのでありました。



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