↑エティック・フレッカ 2800円
わたしが帰宅したら鬼姑が
「あんたになんか届いとったよ」
と言いながら、もってきた。
しばらくしてから袋から靴を出したわたし。
鬼姑は気になって仕方ないようで、
私の方をチラチラ何度も見ていた。
箱を開けて紙をはがしていたら
待ちきれなくなり鬼姑が聞いてきた。
「何が届いたの
何を買ったの」
「靴」
と、答えながら試し履きをしていたら、
「また靴買ったんか
靴ばっかりよ~買うなぁ
こないだも靴買っとったがね」
と言った。
その一言ずつが
全て嫌みだと気づかないのだろうか。
確かに2ヶ月ほど前に靴は買ったが・・・
↑ムトウ パンプスE-71 1990円
↑おまえはムカデかよっ
と突っ込みたくなった方は
今日も応援よろしくお願いします。
1990円とか、2800円なんかの靴を
ネットショップのポイントを駆使しながら
安く買っているつもりだ。
3万も4万もする靴を頻繁に買っていたら
文句を言われても仕方がないかもしれないが
私が自分のお金を自分の楽しみに使うことに
文句を言われる筋合いはないと思うのだが…。
そりゃ、私が鬼姑に比べると、
浪費しすぎだと思っているのかもしれないが
私は鬼姑の子供でもなんでもない。
自分の責任において
自分の管理下で買い物を楽しんで
それで何か鬼姑に迷惑をかけているのか
それに指図されて反省しなきゃいけないほど
私はバカじゃない。
どちらかといえば、
親として指図しなきゃいけないのは
税金をだましとっている義妹のほうだろう。
こんな小さな買い物で
いちいち何かを言われる度に
どんどん鬼姑が嫌いになり
ますます別れて暮らしたいとつくづく思う。
先日、ニュースで最近は
近別居が流行っていると言っていた。
都合により、お互いを利用するわけだ。
遠くにいるわけじゃない安心感と
同居じゃない気楽さがいいのだそうだ。
関わり方にもよるとは思うが
誰もがその距離がベストというわけではないだろう。
「いつまでも子供は子供なの」
と、よく鬼姑は言うが
親としていつまでも君臨していたい
親として子供の上に立ちたいと
いつも思っているからだろう。
子離れができていないから、
そういう発想になるのだろう。
親離れ、子離れが
しっかりできてこそ
子供としてでなく
一人の人間として
信頼できる関係
になれるのではないだろうか。
子供に限らず、友人でも
人を人として、対等に認められるように
生きていきたいなと
たかが靴1足の話から
感じた「てち」でありました。