前回の回想録からの続きになるのですが

あの伏線 があっての

この出来事だったので、

今も私の胸に深く刻まれています。


いろいろなことを考えさせられた事件でした・・・。





【平成8年11月13日の日記より】


昨日は、だるくてだるくて

目まいもひどくて

とても起きていられるような状態じゃなかったけど

鬼姑節分の本性を見て、

余計に気分が悪くなったのでした。


まず、朝からポチわんわん(下の子:当時2歳半)の

プンプンご飯を食べさせてよ!!』と命令され

這って行って、とりあえずクリア。

昼を食べたら自分はタマネギを植えに行くから

『ポチをちゃんと見てよ!!』と言いやがるし、


旦那(息子)が見てないと思って

やたらと冷たくして寝かせてももらえない・・・。


夕方なんてひどいもんだ・・・。

子供たちに怒鳴って、当り散らしている。

頼むから旦那、早く帰ってきてと思い

旦那に電話をかけようと


2階で電話のモニタースイッチを入れた。




すると、

そこからは鬼姑節分と義妹子鬼

会話が聞こえてきたのでした・・・。



なにやら私のことを言っていたので

盗み聞きするつもりはなかったのだけど

そのまま聞いてしまった。

その内容というのがひどいもんだった・・・。






節分「も~嫌!!

疲れたわ!! くたくた!!

熱だってないくせにさぁむかっ

お昼だって、

ちょっと外で話してたすきに

ペロっと食べたくせに。

私がここまで

してやることないんだわ!!

どうせ老後だって

みてもらえんのわかっとるし!!

はてなマーク 私、言わんかったっけはてなマーク

前さ、うちでバーベキューやったとき

私の分のおにぎりがなかったの!!

その時に、これは絶対、

老後みてくれんなと思ったの。

頭にきたからコンビニで

おにぎり買ってきて!!って言ったわさ!!

もういいわ。どうせ見てくれんのなら

この家売って、養老院にでも入るで~。

もう、ちょっと来てよ~。』





どうやら、私は仮病で寝ていて

食欲もばっちりあるくせに

わざと、しんどいふりしてゴロゴロしてる

とでも言いたかったのだろう。





好かれているとは思ってなかったけど

あんな夏のおにぎり1個のことで

いつまでも根に持ってる根性悪のあんたと違って

ちゃんとてめ~らの老後は

死ぬのを見届けようと思ってましたけど目


そこまで言うのなら、

今後のあなたたち次第で

どうなるかわかりませんね。




数時間後、義妹子鬼

コンビニでいろいろ買って、持ってきた。




すると、鬼姑節分は私に

「あの子が気を使って

いろいろ持ってきてくれたんだから

あの子にも、

もっと、いろいろしてやってよ!!

と言ってきた。





てめ~が来いって頼んだから

来たんだろ~がよっ

頼まなかったら来てね~だろっむかっ





あまりにも、頭にきたので

その後は一切、食べ物を口にしませんでした。

鬼姑節分には

「気持ち悪くて何もいらない」

とだけ言いました。




*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:

*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:;;;:*☆*:




もう、この日のことは

昨日の事のように覚えてます。


泣きたくても泣けず

怒りたくても怒れず

ただ、ただ、

風邪を引いた自分がくやしくて悲しくて・・・。




私はもともと体が弱く

免疫力も低いため

一度体調を崩すと、ほんとに長引くのです。

全快するまで、たぶん普通の人の3倍は

時間が必要かもしれません。



だから、決してなまけて寝ているわけじゃなく

ほんとに、しんどくて寝ているのです。




でも、鬼姑節分にはそれが

理解できなかったんでしょうね。



子供の頃から接していたら

わかることかもしれませんが

ある日突然ぽっと来た嫁じゃ、

怠けてるようにしか

とれなかったことでしょう。




わからなくもないけど、

病気のときくらい・・・って思いますよね。




病気の時、

親はとても親身に看病してくれました。

その感覚を鬼姑節分に期待した私がバカだったと

この時、つくづくそう思いました。




姑は私の母親ではない。





他人なんだ。





ということをしみじみと胸に刻んだ瞬間でした。




「思いやり」

この世の中で一番深くて大切だと

この家に嫁いできて

学べた事は貴重な体験でした・・・。




バナー
↑負けるな「てち」!!

の応援はこちらをポチッとお願いいたします。