1995年1月


テレビテレビを鬼姑節分

一緒に見て目いたときのこと。




CMになり、女の子girl*が出てきた。
すると、
「あ~女の子かわいい~ドキドキ

女の子ほしい~ラブラブ
と言う。







あまりにも何度も言われるので、

いいかげん腹が立ってきて





「女の子は

他人にとられるからいや!」
て言ってみた。







でもまだ

『女の子はかわい~よ~、

私はいっつも●●ちゃん(義妹)を

かわいくしてやってたわ~

あ~女の子ほしぃ~ラブラブ
と言ってしつこい・・・。





今だったら

「そんなに欲しけりゃ

自分で産めば」

( ̄へ  ̄ 凸

ぐらい言ってるかもしれないが





当時の私には無理ガクリ





なので、当時はこう切り返した。

「私が育てた最高傑作を

他人にやるなんて、
もったいないから

女の子なんていらない!」

とね。





すると、





『あんたは

自分が女の子産めれんで、

そんなこと言っとるんだわ!!プンプン!!







と、吐き捨てるように言われた。
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くやしくて、くやしくて、
トイレに行ったんだけど、




泣けてきてわたし





泣けてきてわたし





でも泣くと

よけいにくやしいから





我慢して




深呼吸をいっぱいしてから出てきた。







そしたら気持ち悪くなって

吐きそうになった。







そんな言い方ないと思う。





ものすごく傷ついた。







どれだけ私を

傷つけたら気が済むんだろう。



あんな言い方ひどい。
どっかで思いっきり泣きたかった。





※当時の日記はどうしても、読んでいると涙が出てきます。

想い出すのもつらい過去なんですが、ちゃんと記録しておきたい。

そんな気持ちから、過去の日記を紐解くことにしました。

鬼姑の態度は昔も今も全く変わりません。

全く成長がないのです。

期待もしていません。

この同居は自分への挑戦です。

ずいぶん強くなりました。

昔は2階でがたがた震えて泣いてましたから。

でもね、もっと平気になりたいなって思うんですよ。