義妹の結納祝いは4月の予定でした。

正直、私は里帰り出産中に

とっとと済ませてほしいと思っていましたわたし


私は別に参加したくなかったからです。




なのに、相手側が提案してきた日を

うちの鬼姑は拒否し、

私が実家から戻ってきている日を

わざわざ親切にむかっ選んで提案し直したようでした。





はっきり言って、とっても余計なお世話でした。






私が下の子を出産したのは3月15日

私はできれば5月のGW明けに戻りたいと思っていました。




でも、鬼姑はそれを許しませんでした。




「3月(みつき)がけはだめだから」

だそうです。


3ヶ月をまたいでの里帰り出産は許されなかったのです。



なので、私は4月にどうしても戻らなければなりませんでした。






上の子のときもそうでした。

2月18日のお産でしたが、

3月末にはきっちりと帰宅させられました。





そのくせ、後に義妹(娘)が里帰り出産をしたときは、

『3月掛けなんて言うけど関係ない、

もっとゆっくりしていけばいい!!

と言っていましたから


ほんとに、ただの嫌がらせだったのでしょう・・・。







私が里帰り出産から戻り、

GWにはすぐに、義妹の結納がありました。



私はまだ夜中の授乳もあり、体調もよくなく

フラフラのくたくたでした。



下の子のお産の時、

輸血をするほどの大量出血

をしてしまい

お産の後はかなり長期間

ひどい貧血だったのです。






毎日が泣きたいような日々でした・・・。






そして徐々に始まる義妹の荷物作りダンボールダンボール


1Fの座敷は夏あたりから、

タンスや布団などで埋め尽くされていきました。


私もお祝いにと

食器棚ダイニングテーブルセット

購入してあげたのでした。


でも、それだけではありません。



気の回らない鬼姑子鬼のかわりに

あれやこれやと買い揃えているうちに

義妹に15~20万のお金¥を使っていました・・・。




今、思うと、ここまでしてやることなかったなわたし

って思います。





だって、感謝なんてされてないもん。

当たり前だって2人とも思ってるみたいだから・・・。






ほんとにつらい毎日だった。

ほんとは夜中の授乳や

上の子の夜泣きで毎日寝不足


昼寝したくても、

鬼姑や義妹の手前、絶対にできなかった。





でも、期間限定だからと、ほんとにがんばった。


黙ってモクモクと家事・育児をこなしていた・・・。




もっと上手に息抜きすればよかった。

もっと楽に生きていればよかった。





今、思い返すと、ほんとにそう思う・・・。


私って、ほんとにバカだった・・・。

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