お月見泥棒(その2) | うつだってブログ

お月見泥棒(その2)

昨日のお月見泥棒の結果報告です。

5時過ぎくらいから、周りの家のあちこちで、ぴんぽーんとチャイムを鳴らす音と、子供たちの元気な声が聞こえてきた。
うちでも多少のお菓子は小袋につめて準備していたが、とてもレベルが違うようで、先ほどお菓子を追加するため、妻が買出しに行ってきたところだ。

小学生は、自分たちで家々を回っているが、うちの娘はまだ幼稚園生なので、同じ幼稚園の子供とその親と一緒に巡回する約束をしている。6時半に待ち合わせだ。
6時から早めの夕食を食べて、あわただしく追加したお菓子の準備をする。
そして6時半、娘たちは、デパートの紙製の手提げ袋を手に、母親は一緒に巡回する子供たちに渡す分のお菓子を持って出かけた。

もともとは、十五夜のお月見のお供え物を、こっそり家に入って頂戴してくる風習だったらしい、が、今はこんな風に変わっているらしい。
子供たちが家のチャイムを鳴らす「ぴんぽ~ん」
すると家の人が「は~い」と答える、すると
子供たち声をそろえて「おつきみどろぼうでーす!」
家の中から「何人ですか~?」と質問。
そこで子供たち「**人でーす」と返答。
すると家の人が、用意した人数分のお菓子を持って出てきてくれる。
子供たちはお礼を言って次の家へ・・・

大体は小学生の子供が友人の家々を回るので、
小学生の子供を持つ家が、お菓子を準備しておくのだが、
風習自体は古くからあるため、自分に現在子供が居なくても
子供たちが尋ねてくるのを楽しみに、お菓子を用意しておいてくれる家もあるらしい。子供が居なくてもお菓子をくれる家というのは、ちゃんと子供たちの間で情報が広まっていて、毎年ちゃんと来てくれるようだ。

我が家は、母親が子供と出て行ってしまうこと、父親の私は「うつ」でとてもそんなイベントに参加できない、というよりチャイムや電話のベルが怖いので不参加。ということで、家の前に「ひとつずつ持って行ってね」と書置きをして、ダンボール箱にお菓子を入れて置いておくことにした。

最終的にうちらの幼稚園軍団は結局子供11人も集まり、各親合わせて15,6人になった。最初にお互いのお菓子をやり取りし、それから小学生の居る家、お菓子をくれるとうわさの家々をまわった。
近所の2,3ブロックの中を行ったりきたり、子供は走り回る、大人は誰の子も関係なく「ほら!車が来るよー!よけなさーい!」の連続で子供を追い掛け回す大騒動。
1時間も歩き回り、坂を上ったり下ったりした後、最後に、子供は居ないがお菓子をくれるといううわさのあった1軒のお屋敷に行った。すると裏木戸に「おつきみどろぼう、おわりました」と張り紙がしてあったそうだ。時間も時間(夜7時半を過ぎている)だし、ちょうどきりがいいので、「ほら、おわりだって。みんなもこれで今日のお月見泥棒はおしまいにして帰りましょうね」と子供たちに言って、やっとお開きになったそうだ。

帰ってきた2人の娘は、三越と松坂屋の手提げ袋いっぱいにお菓子をもらって、にっこにこして帰ってきた。それから今度は、もらったそれぞれの小袋をあけて中身を確かめ始めた。母親と「1個だけいま食べていい」と約束をしたらしい。それぞれ好きなお菓子を1つ選んで満足そうに食べていた。
これで当分おやつのネタには困らないだろう。

しかし、見せてもらったが、きれいな紙袋にお菓子が入っていたり、リボンで止めてあったりで、ちょっとしたプレゼントのよう。話を聞くと、各家このようなセットを50個~100個は作るらしい。単価50円程度としても、100個も作れば5000円。手間も出費も馬鹿にならない。子供の居る家はお互い様かも知れないが、子供の居ない家はお月見泥棒さんに持っていかれるばかりだ。

それでも、こんな風習が残っていることがうれしい。
私は神奈川の生まれで、こんな風習は聞いたこともなかったが、
ネットで調べると、東海地方には結構やっているところがあるようだ。
「うちの近所でもやっていた」という人はコメントして教えてほしい。

しかし親にしてみればただ大変なだけだろうが、
子供にとってこんな楽しい事はない。
お年玉みたいに現金をやり取りするわけでもないし、お菓子のほうがよっぽどいい。昔みたいにただ忍び込んで団子を頂戴していくのではなく、ちゃんと各家の人と言葉を交わしてくる習慣に変わってきているのも、結構なことではないか。

いつまでも続いてほしいものだ。