ということで、きょうは我ら林道調査隊(2002年に産廃処理会社社長・ヘリパイロット・フリーター・運び屋・ボーリング(高層ビルの基礎工事)会社社長・サバイバルチーム隊員・海外エージェント・非常勤講師(クレーン免許所持)等の暇人が集まり結成するも埋蔵金を手にすることなく諸般の事情により隊は壊滅)が密かに狙っていた戦国時代の名将”佐々成政”の埋蔵金にまつわるおはなしです。
佐々成政が秀吉に攻められる前に再起を期して百万両(一説には五百万両とも・・・)のお金を隠したとされる埋蔵金の有力候補地は、「越中富士」または「富山のマッターホルン」とも呼ばれる富山県の鍬崎山(2089メートル)。冬は深い雪に閉ざされ、短い夏は毒蛇”マムシ”がいっぱい、洞窟も切り立った断崖も多い文字通りの難所であります。
我々素人欲張り隊は、京都は池田屋の近くにて検討に検討を重ね、かの『朝日さす~』の唄に謎を解くカギがあると推測、さっそく調べると・・・・
あるはあるは、全国にその唄が・・・・どうやら埋蔵金伝説には「朝日さす 夕陽かがやく」は付き物で、実に9割がこのパターンとのことでした。しからば、「七つむすび七むすび」はどうか・・・七というのは7×7で49個の壺だということを表しているという説、7つの洞窟に7個ずつ埋めたという説、七というのは陰陽道の中でも重要な数字で北斗七星と関連が深いらしいことがわかったのですた。また富山には金山が多く、「越中七金山」(ななかねやま)」と呼ばれ、ここでも”七”が登場。
成政は黄金の入った49個の壷を家来に背負わせて針ノ木峠に向かわせたそうです。深い雪におおわれた峠は、吹雪が凍りついた岩肌に乱舞していますた。家来たちはやむなく、峠の途中で石室を造り、佐々家伝来の鍬形のかぶとと共に黄金の壷を隠したといわれています。
後に長野県の由松という男が親方に連れられて鍬崎山に登りますた。その親方は成政の子孫で宝の隠し場所を書いた古絵図を持っていたといいます。親方は壷を捜しあてたが、他言したら殺すとおどし、やがて、親方が急死すると由松は黄金の入った壷を捜しにいきますたが、以前の道筋がわからない。毎年毎年、鍬崎山に入りびたり、由松はついに狂死したとのことでございます。
さらに、明治中期、静岡県から来た男が山中で小判の入った49個の瓶を見つけますた。男は、なぜか瓶を残したまま下山し、その後、死亡したといいます。男が残した発見場所のメモをもとに、一攫千金を狙った人々が山に分け入ったが、まだ一人として小判を見たものはいないのでございます。
最後に、2005年まで富山県営だった「らいちょうバレースキー場」は赤字続きで、県は廃止を決定し施設を富山市に無償譲渡することで合意しましたが、累積債務約41億円は県の予算で処理。どうやら、埋蔵金よりもこちらの経営合理化のほうが”金の成る木”であったのかもしれません・・・・・おしまい




