きょうは、中世に自由都市として栄えた大阪府堺市にある堺港のおはなしです・・・・
堺がヨーロッパ人に知られるようになったのは、1549年フランシスコ・ザビエルが日本へ来てからのことといわれています。その後、イエズス会の宣教師たちが相ついで堺を訪れ、本国へ向け堺の情報を伝えました。そうしたなかで、彼らにとって堺港は、アジア海域の船がみんな集まってくる「東洋のベニス」のように、繁栄した国際貿易港としてイメージされていたようです。
堺港はオランダ人モンタヌスが、16~17世紀初頭に日本にやってきたキリスト教宣教師やオランダ商館員らの報告からまとめた本『東インド会社遣日使節紀行』(通称『日本誌』)にも登場します。(絵図は界浦眺望図1847年以後「堺と三都」堺市博物館1995.10.1発行より)
また、戦国時代には自治商業貿易都市として栄え、戦乱の権力者の間を権謀術策を駆使して生き抜き、村野紹鴎を祖とする茶の湯の大成者千宋易(のちの利休)などの文化人を多く輩出することになりました。摂津有岡(伊丹城)の城主であり明智光秀とならんで智勇の誉れ高き荒木村重は、運命のいたずらから信長に弓引くこととなり、妻子をはじめとする一族郎党を残し備後に遁走、その後秀吉に許され晩年は堺にあって「道糞」と名乗り自らを蔑んだといわれています。
現在では埋め立てが進み工業地帯が広がり、往時の面影もありませんが旧堺港(写真は旧堺燈台)に港の雰囲気を残すのみとなっています。近年、大阪湾もきれいになり(ワタスの幼少のころから較べると、ホントに水がきれいになりました。昔は茶色かったです)堺出島漁港では毎週土日曜にとれとれ市を開催中!!!



