三原村というのは地図上でいえば高知の中村と宿毛のちょうど間位を南、下方向に進んだあたりにある山の中の村で、人口も1,500人足らずだ。国道56号の平田の交差点を南へ入っていくと着く。
歩いたときは遅めの昼食を平田交差点あたりにある喫茶店で摂った。それらしい喫茶店はまだあった。
坂を登っていき、意外と遠いと感じた。村役場の少し先なのだが、その村役場が遠い。細くて曲がりくねった道を進む。途中、記憶にあるダムなどもあり、道が間違っていないことは分かった。
ようやく着いた役場界隈から少し速度を落とす。しかし、ここからどのくらいだったか覚えていない。覚えているのは
・神社の手前だか先だか、どちらか。
・清水を飲めるところまで行ったら行き過ぎ。
・道路に面していたような・・・。
と、家に入る道の様子だけ。ゆっくり走るが、見覚えがある家がない。神社を通過しても見覚えのある家がみつからない。そのうち、清水を飲めるところへ着いた。Uターンだ。
やむなく、停めやすいところに車を停めて、集落の中に入っていき、地元の人に尋ねる。なんとなく似た家を見て声を掛けると、だいたいの場所を教えてくれた。名字と職業だけは分かっていたのと、あとはお遍路さんをよく泊めていたというので、そちらが効いたみたいだ。
二人目に伺うと、どこを曲がれば着く、というところまで教えて貰えた。しかし、入っていっても見覚えがない。おそるおそる奥に進み、突き当たりのきれいな家のあたりにさしかかると、なんとも懐かしい佇まいが見えてきた。
そのまま突き進まず、お礼の品を持って、今度は開けっ放しの玄関で声を掛ける。すると、すぐ脇でなつかしい顔のおじさんがいた。長いこと礼もできずに申し訳なかったこと、とりあえずお礼をお持ちしたことを伝え、2分ほど話をして出てきた。おじさんはよくもまあ覚えていてくれて訪ねてきてくれた、と非常に喜んでくださっていた。
おじさんの家の玄関の内側には泊まったお遍路さんが残していったであろう収め札がたくさん貼ってあったが、奥様はいらっしゃらなかったようだ。家の様子からすると、もうお亡くなりになっているのかなと思う。
家を出て気がついたが、当時と家に入る通路が変わっていた。昔は離れのトイレの脇を通っていたが、今はそれがなくなっていて別の路地を通るようになっていた。
車に帰り、そういえばお孫さん向けの品を届け忘れていたので慌てて再訪問した。たいしたものではないが、お菓子である。そうするとおじさんは軍鶏の卵をいくつかと、ペットボトルに保管していたハチミツを下さった。なんだかかえって申し訳ないようにも思った。
帰り、車に乗り込むと道路までおじさんが見送りに来て下さった。足ももう悪いとおっしゃっていたのに、わざわざ・・。涙が出そうだった。
頂いた軍鶏の卵はとても新鮮で、黄身はレモン色。ご飯にかけて食べるととてもおいしかった。はちみつはおそらく天然物で、不純物を濾過してから使っているが、甘みと酸味がある。
12年間お礼できずに心苦しかったが、かなり気持ちがラクになった。本人曰く、いつ死ぬか分からんから次訪ねてきたときにいなかったらごめんな、とのこと。長生きして貰いたい。来年も訪れてみようと思った。間抜けなことに、そちらの住所を伺わずに戻ってきたのだ・・。
まだまだ訪ねたいところはあるのだが、今回の帰省をからめた中での「足跡」はこれにておしまいである。
歩いたときは遅めの昼食を平田交差点あたりにある喫茶店で摂った。それらしい喫茶店はまだあった。
坂を登っていき、意外と遠いと感じた。村役場の少し先なのだが、その村役場が遠い。細くて曲がりくねった道を進む。途中、記憶にあるダムなどもあり、道が間違っていないことは分かった。
ようやく着いた役場界隈から少し速度を落とす。しかし、ここからどのくらいだったか覚えていない。覚えているのは
・神社の手前だか先だか、どちらか。
・清水を飲めるところまで行ったら行き過ぎ。
・道路に面していたような・・・。
と、家に入る道の様子だけ。ゆっくり走るが、見覚えがある家がない。神社を通過しても見覚えのある家がみつからない。そのうち、清水を飲めるところへ着いた。Uターンだ。
やむなく、停めやすいところに車を停めて、集落の中に入っていき、地元の人に尋ねる。なんとなく似た家を見て声を掛けると、だいたいの場所を教えてくれた。名字と職業だけは分かっていたのと、あとはお遍路さんをよく泊めていたというので、そちらが効いたみたいだ。
二人目に伺うと、どこを曲がれば着く、というところまで教えて貰えた。しかし、入っていっても見覚えがない。おそるおそる奥に進み、突き当たりのきれいな家のあたりにさしかかると、なんとも懐かしい佇まいが見えてきた。
そのまま突き進まず、お礼の品を持って、今度は開けっ放しの玄関で声を掛ける。すると、すぐ脇でなつかしい顔のおじさんがいた。長いこと礼もできずに申し訳なかったこと、とりあえずお礼をお持ちしたことを伝え、2分ほど話をして出てきた。おじさんはよくもまあ覚えていてくれて訪ねてきてくれた、と非常に喜んでくださっていた。
おじさんの家の玄関の内側には泊まったお遍路さんが残していったであろう収め札がたくさん貼ってあったが、奥様はいらっしゃらなかったようだ。家の様子からすると、もうお亡くなりになっているのかなと思う。
家を出て気がついたが、当時と家に入る通路が変わっていた。昔は離れのトイレの脇を通っていたが、今はそれがなくなっていて別の路地を通るようになっていた。
車に帰り、そういえばお孫さん向けの品を届け忘れていたので慌てて再訪問した。たいしたものではないが、お菓子である。そうするとおじさんは軍鶏の卵をいくつかと、ペットボトルに保管していたハチミツを下さった。なんだかかえって申し訳ないようにも思った。
帰り、車に乗り込むと道路までおじさんが見送りに来て下さった。足ももう悪いとおっしゃっていたのに、わざわざ・・。涙が出そうだった。
頂いた軍鶏の卵はとても新鮮で、黄身はレモン色。ご飯にかけて食べるととてもおいしかった。はちみつはおそらく天然物で、不純物を濾過してから使っているが、甘みと酸味がある。
12年間お礼できずに心苦しかったが、かなり気持ちがラクになった。本人曰く、いつ死ぬか分からんから次訪ねてきたときにいなかったらごめんな、とのこと。長生きして貰いたい。来年も訪れてみようと思った。間抜けなことに、そちらの住所を伺わずに戻ってきたのだ・・。
まだまだ訪ねたいところはあるのだが、今回の帰省をからめた中での「足跡」はこれにておしまいである。