三坂峠は松山市内から久万高原町に抜ける国道33号線にある。今はバイパスができて峠を通過しなくてもよくなっている。
12年前はこの三坂峠にまる二日ほど留まり、観音堂で長五郎さんという、四国遍路の中では名の売れた方と世間話をしていた。


松山にあるこどもの城を出た後に国道33号に入った。33号に沿っていけばいずれ着くだろう。しかしものすごいクネクネ道。また、道路標識で標高が700mくらいもあると知る。当時、そんなに登ったような感覚はなかったが、車で走ると相当上がっていくのが分かる。

途中、バイパスを確認し、峠の方を選択。急カーブが続く。歩いたときは山道を登ったのでたいしたことはなかったが、この国道を歩いていたらめげていたに違いない。
やがて三坂峠の標識。が、記憶にある情景と違う。しかし、道は下りになる。久万高原町に入るとひたすら下り坂。ターンできそうなところでターンし、戻る。

それらしいと思われるあたりで車を停められるところに停止し、チェック。商店はなくなっても観音堂はあるだろう。観音堂は長五郎さんの知人が建立したものの、うっかり長五郎さんは除幕式?に出席せず、どこかを回っていたという話を本人から聞いた。

ふと、観音堂の文字を見つける。その方向に向かってみると、懐かしい景色が見えてきた。当時レストランだった建物の脇に立ってはいたが、すっかり朽ちて、畳もなく床が相当抜けていたが、観音像は建物外部から見ることができるようになっていた。
レストランだった建物を見ると、名称も変わっており、しかも閉鎖されている。中を覗いたが、当然誰もいないし、施錠もされていた。ところどころ、長五郎さんの収め札が貼ってある。
当時なかったものは、歩き遍路やバイク、自転車遍路用の無料宿泊施設。昔は観音堂がその役割を担っていたのだが、朽ちてきたのでこうなったようだ。これも長五郎さんらの働きかけではないだろうかと思う。
桃を貰った八百屋はしばらく後、伊予鉄の研修所になっていたらしいが、今は建物もなかった。

道の対面で営業していた八百屋さんで話を聞くと、12年前くらいが一番賑わっていたとか。トマトがおいしいよとのことで購入したが、安かった。


観音堂脇からの眺めは以前のまま。ここ、夜景がまたいいんですが、そんな時間まで居るわけにもいかない。観音道が朽ちたりしているのは残念であったが、遍路のための施設ができたりと、長五郎さんの息吹に出会え、なんだか嬉しくなった。