フリーランスになって、仕事の切れ目以外で初めてだろうか。夏休みというものを取らせて貰った。
実家が淡路島にあるので、そこへ行き着くまでに境港と四国に寄ってから、という旅程を組んでみた。境港は家族サービスのため、四国は自分の足跡を追うためだ。12年前の2000年、四国八十八カ所を徒歩で逆回りで回ったのだが、そのときにお世話になったところを訪ねてみたかったのだ。
絞りに絞って、3カ所に絞った。
・愛媛の大洲にある仏陀懸寺
・愛媛の松山郊外の三坂峠
・高知の宿毛から足摺岬に向かう山の中の三原村
仏陀懸寺は別名を札掛大師という。当時「手伝いのできる方募集」ということであった。通過してから気になって手伝いを申し出たところ、小さい男の子が出てきた。小学生と幼稚園の3人の孫が遊びに来ていたらしく、その末の孫だったらしい。住職と奥さんがおり、琵琶の葉の裏をきれいにする作業をお手伝いした。琵琶の葉は万能の薬になるとか。
初日の昼過ぎくらいに手伝い初め、翌日の昼頃までお手伝いしたか。一泊の宿と夕食、朝食をごちそうになった。当時のお礼をしようと計画していた。
三坂峠は国道33号の山道のてっぺんで、遍路の通り道だ。当時、松山方面から久万方面へ向かっていたところで舗装道路が歩行者のみの道路になり、上り坂が結構長かったので喉が渇いた。ようやく登り切り、国道に出たところに自販機を見つけ近寄っていくと、八百屋のおじさんが桃を分けてくれた。急いで食べるともう一つ。そのおじさんが、四国遍路の業界?では有名な長五郎という方だったとは後で本人から伺った。
そこにある観音堂に長五郎さんと二泊、更にドライブインみさかという名前だったと思うが、レストランがあり、それがどうなっているかを確認してみたかった。
三原村は宿毛から足摺岬に向かう際、がんばって歩いても土佐清水までは抜けられないなと思った。電話帳で三原村の宿に電話したが留守電で、メッセージだけは残しておいた。こういう経験は初めてだったが、不安を感じつつもとりあえずいつつも登りはじめた。そうすると途中で軽トラックに乗ったおじさんが「今夜うちに泊まらんか」と声を掛けられた。宿にも留守電ながら連絡をしたのでとお伝えしたら、そこが駄目だったらでいいという。取りあえず三原村役場近くの宿を目指すが、留守の様子。途中のダムでお祭りみたいなのをしていたからか、宿の方もそちらに行っているのではないかと思い、宿には留守電の件と本日は泊まらない件を分かりやすい場所にメモを置き、そのおじさんのお宅で厄介になった。
一泊の宿と風呂、朝夕の食事と洗濯までお世話頂いた。軍鶏を大阪に出荷しているとのことで住所の書いた伝票を頂いたのだが、失念してしまっていてずっとお礼も言えずに居た。こちらにはお礼をしなくてはと、経由はこの旅の絶対条件とした。
実家が淡路島にあるので、そこへ行き着くまでに境港と四国に寄ってから、という旅程を組んでみた。境港は家族サービスのため、四国は自分の足跡を追うためだ。12年前の2000年、四国八十八カ所を徒歩で逆回りで回ったのだが、そのときにお世話になったところを訪ねてみたかったのだ。
絞りに絞って、3カ所に絞った。
・愛媛の大洲にある仏陀懸寺
・愛媛の松山郊外の三坂峠
・高知の宿毛から足摺岬に向かう山の中の三原村
仏陀懸寺は別名を札掛大師という。当時「手伝いのできる方募集」ということであった。通過してから気になって手伝いを申し出たところ、小さい男の子が出てきた。小学生と幼稚園の3人の孫が遊びに来ていたらしく、その末の孫だったらしい。住職と奥さんがおり、琵琶の葉の裏をきれいにする作業をお手伝いした。琵琶の葉は万能の薬になるとか。
初日の昼過ぎくらいに手伝い初め、翌日の昼頃までお手伝いしたか。一泊の宿と夕食、朝食をごちそうになった。当時のお礼をしようと計画していた。
三坂峠は国道33号の山道のてっぺんで、遍路の通り道だ。当時、松山方面から久万方面へ向かっていたところで舗装道路が歩行者のみの道路になり、上り坂が結構長かったので喉が渇いた。ようやく登り切り、国道に出たところに自販機を見つけ近寄っていくと、八百屋のおじさんが桃を分けてくれた。急いで食べるともう一つ。そのおじさんが、四国遍路の業界?では有名な長五郎という方だったとは後で本人から伺った。
そこにある観音堂に長五郎さんと二泊、更にドライブインみさかという名前だったと思うが、レストランがあり、それがどうなっているかを確認してみたかった。
三原村は宿毛から足摺岬に向かう際、がんばって歩いても土佐清水までは抜けられないなと思った。電話帳で三原村の宿に電話したが留守電で、メッセージだけは残しておいた。こういう経験は初めてだったが、不安を感じつつもとりあえずいつつも登りはじめた。そうすると途中で軽トラックに乗ったおじさんが「今夜うちに泊まらんか」と声を掛けられた。宿にも留守電ながら連絡をしたのでとお伝えしたら、そこが駄目だったらでいいという。取りあえず三原村役場近くの宿を目指すが、留守の様子。途中のダムでお祭りみたいなのをしていたからか、宿の方もそちらに行っているのではないかと思い、宿には留守電の件と本日は泊まらない件を分かりやすい場所にメモを置き、そのおじさんのお宅で厄介になった。
一泊の宿と風呂、朝夕の食事と洗濯までお世話頂いた。軍鶏を大阪に出荷しているとのことで住所の書いた伝票を頂いたのだが、失念してしまっていてずっとお礼も言えずに居た。こちらにはお礼をしなくてはと、経由はこの旅の絶対条件とした。