先日、小学校の同窓会があった。
ちょうど先生が定年になる、ということで開催したのだが、先生自体は今年の3月末で早期退職をされていた。
先生は非常に熱血な教師であった。当時反抗期真っ盛りの私や、やんちゃ盛りの他の生徒たちにもまっすぐに向き合い、本気でぶつかって来てくれた。よく殴られもした。それは僕たちが悪かったのだが、そういう本気度が印象深かったのか、学校生活の中では一番思い出深い先生であるし、他の参加者メンバー、他のクラスのメンバーもほぼそういう意見であった。(その先生の前だから、というのを差し引いても、である)

その時の話がいろいろあったのだが、「大人が大人の役割を果たしていない世の中になってきたのではないか」というのが雑感である。それにはいろいろな要因があると思うが、熱血な先生にはやりにくい時代になっているようだ。

先生の話によると、「他の子のランドセルに唾を吐きかけた高学年の子」を叩いたらしい。すると、それを見ていた人が、学校に直接言うのではなく、都道府県の教育委員会に「先生が児童を叩いた」と連絡し、先生は処分を受けたそうだ。
先生の味方をする訳ではないが、明らかにその児童には非がある。それを放っておいて良い訳がない。手を出すのは賛否あるかと思うが、教育者のプロとして「ここはこのレベルの指導が必要」と感じたからそのように行ったのだろうと、私は思う。そもそも学校という場所は勉強だけではなく、集団生活を通して人との関係や物事の善し悪しを学ぶ場でもある。私たちが子供だった時代は親も、地域も、先生もそのことくらいは認識していたので「いけないこと」をしたら、その誰かに叱られて然るべき、という共通認識があったのだろうと思う。
しかし、今はそうではないらしく「自分の子供が怒られた/叩かれた」という理由を全く無視して、その行為がどうだこうだと言う親が多いらしい。それは、親が親として、大人としての役割を全うできていないからではないのか?大人は、大人として「子供たちが曲がらないように育てる」よう教える必要があるだろうと思うが、それができない世の中になってきているらしい。


私が知る限りでは、地域社会やPTAがしっかりしている地域は、そういう問題は少なく、学校と親との距離、感覚は近いらしい。私が思う限り、必ずしも一致する訳ではないが、相関性があるものとして
・核家族
・共働き
・近所との付き合い
・地域の団結力(祭り等の行事)
・居住年数
等はパラメータとして有効ではないかと思う。

地域、家庭、学校がそれぞれ力も知恵も出し合って、子供たちをよい方向に育てていこう、という気があれば、おそらく現在教育現場で起きている生徒の問題のうち、少なく見積もっても半分以上、予想では8割5分程度は片付くのではないだろうか?と思う。

教育現場に居るわけではないので、見えていない部分もあろう。が、いろんな視点で教育現場を見たり、いろんな立場の方からの意見を参考にすると、そんなものではないのかな、と思う。

いろいろ批判がある方もいるだろう。ならば、それぞれの立場で「こうだ」というご意見を賜れればと思う。それにより現在の教育現場での問題解決の解(ケースバイケースではあるだろうけれど、どこかでは最適解)に少しでも近づいていければ幸いである。