3.東京へ

行くと決めたはいいのですが、まだ交通機関が安定して動いおらず、さらに輪番停電が始まるということ。たまたま震災の前の日に満タンにしていたクルマですが、だんだんガソリンも手に入れにくい状況になってきました。クルマで東京には行けそうもない。

またこのころ、共販センターの駐車場に割れてしまった器や石膏型、棚板といった窯道具の集積所ができました。実際にその光景を目の当たりにしたときの強烈な印象。そこには益子の歴史が破片となって積まれています。一度割れてしまうと器の価値は0。巨匠から若手まで作家モノから窯元の作った大量生産のものまで割れてしまうと陶磁器はの価値はすべて等価です。

集積所ができてまだ1日ほどしか経ってないのに、すでに膨大な量の破片が山となっています。器のプールをぶちまけたように見えました。聞くと4月頭でこの集積所に集まった破片は廃棄物として片付けてしまうとのこと。そのころまでにはどれだけの破片が集まるのでしょう?見当がつきません。

その山を少し探ると綺麗な器がたくさん。益子焼ってこんなにカラフルだったんだと少しの驚きが。茶色いだけじゃんと思ってた自分を少しだけ叱って、幾つが皿と鉢を拝借。どうしてもこれを黙って廃棄するのが許せない自分がいます。とても自分の割れてしまった作品をここに持って来る気にもなりません。
(自分の家で割れてしまった器も今だに捨てることができずにいます)

なんとかしないと…
なんとかできないか…

この状況はきちんと伝わっているのか?なくなってしまうともう誰にも伝わらないのでは?

それは益子にとっては悲劇以外のなにものではない、そう思います。


そのころ、まだ交通機関の乱れは続いており、実際14日までは東北線はきちんと動いてなかったようです。

15日、ラジオで東北線が間引きで運転してるのを確認して東京に向かったのです。

(のちにこの日、原発から大量の放射性物質の放出があったと知りました)


その日の東京は風がものすごく強くて天気がすごくよかったです。
会場のneutronは青山通りを入った所にあるギャラリー。その日の表参道も青山通りも人もクルマもまるでいない、いつもとはまったく逆のひっそりとした風景。こんな青山ははじめてです。
行き交う人たちは皆、何かはっりしない、何か重いモノを抱えてるような、何が我慢している雰囲気を漂わせています。東京でもこの重苦しい空気。

neutronではこの日からイケヤン☆展がスタート。
一年間全国各地を巡回して続いてきたイケヤン展、一年目最後がここneutronでした。普段と違う現代美術のギャラリーの展示ということで、作品も大分作りこんだものを準備してたのですが焼けず、今回は手持ちの作品だけの出品。
一度は中止になりかけた展示会ですがneutron代表の石橋さんの一言で開催することになりました。
「この時期に開催することは作家の資質に関わる。やれることがあるならなぜ中止しないといけないのか」この一言には本当に救われました。素晴らしい気持ちです。

会場には見慣れた顔の友人が。少しだけ安心して仲間の陶芸家に益子の状況と写真を見せて説明するとやはりみな驚いた顔。まさか自分がこの災厄の当事者として、益子にいるとは思いませんでした。

やはりこの日は客足が少なく、それでも毎回いらしてくださる小山在住の方が。小山の町がゴーストタウンのようになっていることなど聞き、同じ栃木県民、ふぅと一息ついて、再会を誓って。

それでも夕方のレセプションに向けて人が徐々に集まってきました。この日はギャラリストや編集者といった幾人かのゲストの方を招いての対話が行われました。話す内容もやはり地震のことが中心になります。
そんななか、自分もなんとか自分の経験した周りの状況を伝えようと必死だったと思います。

本当にさまざまな方にこの晩は会いました。そして、この旅は多分たくさんの人に出会うんだろうなあと予感めいたことを感じながらこの日は酔いました。

そしてその予感は実際、当たったのです。







written by tebokehand













hajimeeeee