alan の中国ファンや日本ファンのブログやBBSを、ちょこちょこ読ませていただいていると。現在という世界情勢や、それぞれの社会の様子が良くわかります。
中国大陸の alan のファンは、インターネットの利用に制限があるためか、いくつかのポータルなファンサイトやBBS(掲示板)が存在していて、比較的ですが統制された応援をしているように、表面上は思えます。
日本の alan のファンは、それぞれの個人のファンのブログでの応援が主流で、ポータルなファンサイトは存在していません。(YAMATO-Z さんの”alan仙女の響き”は休止中になりました。残念です。)
ある日本の方は alan のファンの総称を”アラ ヴァーズ”と呼んだり、またある方は alan のファンの総称を”alan家族”と呼んだり、ある方々は alan のファンの総称を”アミリー”と呼んだりしています。
もちろん同じ alan のファンでも、ひとつにまとめて、呼ばれたり扱われるのが、嫌な方もおられます。
日本のファンはやはり統制されたくなくて、自由な応援が向いているのでしょうか?
2008年の11月には、 alan が日本デビューして一周年となりますし、その次にはファーストアルバムのリリースも予定されていますから。
そろそろ日本でのオフィシャルな公式 alan Fan クラブの開設が、準備され始めている頃ではないのでしょうか?
坂本龍一教授が2008年の8月に来日した時に、民族音楽の話題が出ていて、地球環境の保全に関連して、生態系の多様性が論議されるけれども、音楽についても多様性を論議されるべきだと、問題提議されていました。
最近のグローバル経済化した社会によって、世界中の音楽がどれも、同じような傾向を持ってしまっていて、世界中の音楽文化の多様性が失われているとも、発言されていました。
約20年間、アメリカ合衆国は唯一で無比な、超大国(スーパーパワー)として、地球上に君臨していましたが、その間に音楽にもグローバル化と呼ばれる、商業的な画一化された淘汰が起こっていて、世界中のどこに行っても、一聴してリズムや旋律や音の重なりや反復性が似かよった、同じような音楽しか聴こえて来なくなっているのです。
alan の音楽性は、チベット音楽などの民族音楽が基盤になっているはずです。いま失われてゆく数多くの音楽は、それだけ次世代の人類の音楽の可能性を奪い去り、音楽の多様性という宝物を無くしてしまい、人類を貧しくしてゆきます。
そして2008年9月に、アメリカ合衆国は唯一で無比な国家では、もうなくなりました。世界は絶えず変化しています、
世界のすべてが行き過ぎたグローバル経済化のモノトーンから、「新しいブロック経済化」のカラフルな多様化へと移りつつあるのかもしれません。
しかしその変化が、すべての人々に幸いであるとも思えません。何事にも両方の側面があることでしょう。テロリストとの戦争の次は、また国家と国家の戦争になるかもしれません。