私の為を思って意見する人達がいたけれど、余計なお節介だし、本人さん達はお節介していると思わないのだろうか?

 

「あなたのことが心配」とか言うけれど、心配かけるほど人間関係を築いていない、年に何度か見かけるだけの近所の人とか、会ったこともない見知らぬ人とか・・・

 

「私の一体何を知っているの?私はあなたのことな~んにも知らんのやけど」と思う人達もいれば、人間関係があってマウントとってくる「友達」と勘違いしていた人達とか、職場の同僚とか上司とか、知っているスピや宗教界隈の人とか・・・

 

お節介な人って自分のことを棚に上げて、私にお節介することが「優しさ」と勘違いしている。

 

「人に優しくする自分」に酔っているだけ。

 

本当は自分こそが自分の心配をすればいい。

 

人のことを心配している余裕なんて本当はない癖に。

 

母が信心していた宗教関係者は、病気の母に絡むことで「かわいそうな人を励ましてあげている」と勘違いしていて甚だ迷惑だった。

 

母が家のことをなおざりにして、宗教の行事優先にしていた時、「いい加減にしろ!宗教よりも自分の生活の方が大事やろ!」とずっと思っていた。

 

私にお節介する人や母に絡んできた宗教関係者は、自分のことを顧みず、自分から逃げている人なんだと思う。

 

自分を見つめることが出来ないから、お節介することが「優しさ」だと勘違いしている。