昨日、自転車に乗っていて後ろから来た車にクラクションを鳴らされました。

 

道路の端を自転車で走っているのになんでクラクション鳴らされるのか。蹴散らせるようにクラクションを鳴らす人はイラチなのか、短気なのか。

 

市内の橋を自転車で走っている時も後ろからバスにクラクション鳴らされたことがありますが、橋の真ん中を走っている訳でなく、向こうからすれ違う歩行者や自転車に気を配りつつ端を走っていた。

 

クラクションを鳴らしたバス会社のバスは、自宅近辺の路線バスの会社で昔はよく乗っていたけれど、運転手に何度も横柄な態度をされていい思いはない。

 

市内を走るバスは電鉄系のバス会社3社あるけれど、クラクションを鳴らされ、横柄な態度をとられたKバスは見る度にイラっとする。

 

亡き母の通院でKバスに乗っていたけれど、母は障害者手帳保持者だったので降りる時に提示したのだけれど、「写真が見えるように出して!」と横柄に言われました。

 

写真が見えるように提示しなかったのはこちらが悪いですが、言い方があるだろうと思ったし、母はペースメーカーだったので見た目に障害者に見えず、人の障害者手帳を悪用したと疑われたのかも知れません。

 

小さかった時にバスに乗っていて運転手に暴言吐かれたこともあり、Kバスの運転手にいい思いはないし、Kバスとは相性が悪いのかも知れない。

 

車にクラクション鳴らされたことで、Kバスに大きなクラクション鳴らされたこと、過去の横柄な態度を思い出したのだけれど、運転手が短気で余裕がないとこちらが嫌な目にあう。

 

最近、見た動画であおり運転は運転が下手な人、気遣いのない人があおられるので、煽られる方が悪いとのことでした。

 

その理論で行くと、クラクション鳴らされる私にも悪いところがあるのだろうか?

 

車を運転する人の気持ちになって自転車を走らせるということか?

 

クラクション鳴らしたり、煽ったりするのも、理由あってのことなら、こちらの配慮不足だったので反省が必要なのか・・・

 

何だか自転車に乗るのも、歩くのも命懸けだな・・・と思う。これからは十分に気を張って自転車に乗り、歩行しようと思う。

 

最近読んだ本に怒る人と言うのは、自分よりも弱者に対して怒り、目上の人に対しては怒れないので怒りを我慢できるのだと書かれていました。

 

クラクションを鳴らす人達や横柄な態度をとるバスの運転手は、私に対して「怒っていい」と決めつけているから、クラクション鳴らしたり、横柄な態度を取る。

 

横柄な態度を取ったり、クラクションを鳴らす理由があるのかもしれませんが、人を見て態度を変えるのはやはり小心者なんだろうな・・・としか思えません。