前回、集会に参加するのが苦手、自分が人前で話すのが苦手なので、集会の司会をする人や意見を述べる人が堂々としていてうらやましく、劣等感が刺激されると投稿しました。

 

司会や意見を述べる人がうらやましいのもありますが、司会する人や意見を述べる人達が優秀に見えて優等生タイプに思えるので苦手と言うか、拒否反応があるのかも知れません。

 

幼稚園で担任にいびられて以来、先生と名のつく人にいい思い出がなく、私が出会った嫌な先生のタイプは、口が達者で意地悪という印象しかなかった。

 

先生になるのだから勉強も出来て頭もいい、口が達者で歯が立たない、子供だった時は先生に歯向かうことも出来ないし、昔は学校の先生にクレームをつける親もいなかったから、親よりも先生の方が偉かった感じがある。

 

話しがそれましたが、人前で堂々としていて意見を述べる人=優等生タイプだという思い込みが自分にはあり、嫌いだった先生だけではなく、優等生タイプの人達や口達者な人達に嫌な思いをさせられてきたから、堂々としている人が苦手なんだと思う。

 

質問する人はわからないことを聞いているのだから何とも思わないけれど、早く集会が終わって欲しいのに長々と自分の意見を述べて何を話しているのかわからない人とかイラっとする。

 

自分が「早く集会終われ」と思っているから、話しの内容を理解しようと努めてないのもあるし、「意見を言ってることに酔ってるんじゃないの?」と思う。

 

建設的な意見を述べていた人も、長々と意見を述べていた人も、私の経験で遭遇した私に対して「舐めてきた」人を重ね合わせてしまう。

 

建設的な意見を述べる人と関わった時は、こちらは関わりたくないのに、「やれば出来るのにどうしてやろうとしないの?」と私を憐れんでお節介された。

 

長々と意見を述べるタイプの人にはわがまま放題されたり、パワハラされたので、「個人的に関わりたくないタイプ」と思ってしまう。

 

集会に参加するのが嫌なのは、意見を堂々という人達に過去に嫌がらせされた人達を投影してしまうからなんだと思いました。

 

集会に参加して、人前で堂々としている人を見て、人前で話すのが苦手な自分の劣等感が刺激されることについては、「人前が苦手でもいい、人は人、自分は自分」と自分を認めること。

 

人前で堂々としている人が「優等生タイプ」で苦手、嫌いという自分の思い込みは「仕方ないよね~。こういった人達にずっと嫌がらせされたんだから~」と自分の思いを否定しない。

 

劣等感も人に対する苦手意識も、自分を否定しないこと、どんな自分の思いも肯定してあげることでしかない。自分が自分を肯定してあげようと思いました。