自分にとって耳の痛いことを言ってくれる人がいるかが大事と見た動画で言われていました。

 

芸人の不祥事についての感想で、周りがイエスマンだらけでイエスマンだらけの世界だとそれが当たり前となる。

 

何だか恐ろしいな・・・と思いましたし、アテンドした人達の言い分が腑に落ちないというか、この件を知って以来、真実かどうかわかりませんが、嫌悪感でしかない。

 

動画では自分の身に置き換えて、周りに自分にとって耳の痛いことを言ってくれる人がいるかどうかが大事だと言われていました。

 

私は誰とも繋がりがないし、私を叱ってくれる人は今はいません。

 

自分が内気で何事においても不器用で鈍くさいので叱られるというか、怒られたり、からかわれたり、いじめられることはありました。

 

親切を装ってのマウントとか・・・

 

私が親切を装ってのマウントと思っているだけで、言っている本人さん達は本気で私の為を思って言っているのかもしれませんが・・・

 

「耳が痛い」というよりは、「何でそんなこと言われなきゃいけないの?」とムカついてくるし、「何を上から目線で偉そうに!」と思ったのだから仕方ない。

 

今、思い出したのは、社会人になって2度目の職場で男性上司にいびられ、配置転換されたのですが、異動先の上司が私よりも5歳上の女性でその人には鍛えられたな・・・と思いました。

 

その女性は私生活はだらしないところがありましたが、仕事が出来る人で異性には甘く、同性の友達はいなさそうな人でしたし、同性から怖がられていました。

 

前職が女性だらけの職場だったしドラマの大奥チックな所があったので、怖い女性の上司に当たってもさほど何とも思わなかった当時の自分を褒めてあげたいと思う。

 

女性の上司は気分にムラがあったけれど、仕事に関してきちんと教えてくれたし、私のダメなところもきちんと叱ってくれた。

 

最初は前の男の上司に嫌われて異動してきたので、私の悪評を聞いて色眼鏡で見られていると思いましたが、私と接するうちに私の人となりを見てくれてきちんと指導してくれたなと思いました。

 

女性の上司は一人行動が多かったので、つるんでいる女性たちのようなマウントもないし、私にとってはさっぱりさばさばした女性で個人的なことを話すこともなく、仕事上だけの関係だったので気分的に楽でした。

 

私の失敗に関してもくどくど怒ることなく、私のフォローをしてくれました。

 

私生活に乱れがあっても、仕事は仕事と割り切りきちんと成果を出し、人に深入りせずあっさりとつきあい、注意すべきことや言いにくいことをはっきりと言う。

 

私に意見してきた人達の中で私の中では一番まともだったと感じる。

 

ネチネチ説教したり、「あなたの為を思って」と勿体ぶることなく、淡々と言うべきを言うスタンス。

 

学校にしても、習い事にしても、スピ系にしても、「先生」と呼ばれる人にまともな人は1割くらいしかいなかった。

 

両親にしても育ててもらった恩はあるけれど、私に耳の痛い注意をすると言うよりも、私が両親に対して耳の痛いことばっかり言っていたけれど、ちっとも言うこと聞いてくれなかった。

 

他にも「そんなことを言ってくれた人は今までいなかった」と2人の人に言われましたが、私が私の尊厳踏みにじられたから言わざる負えなかった。

 

「そんなことを言ってくれた人は今までいなかった」とは言われたけれど、相手の人達の私に対する態度は変わらず、私の意見を聞き入れてはくれなかったし、そのうちの一人は逆切れしてきた。

 

「耳に痛い」ことを言ってくれる人は大事。

 

相手に伝わるように自分の気持ちを率直に伝える方法も大事だけれど・・・

 

私が言ったことを受け入れられず、私を脅す人達はそれまでの人で、結局、「イエスマン」が必要な人達なのだと思いました。