キュウニ

 

5年前の今日は母の命日でした。

 

 

人生で1番泣いた日。

 

 

 

正確に言うと人が1人亡くなると当日は泣いてる余裕など無いくらい大忙し。

 

わたしマンネなのに…全ての決定権を委ねられたかのように

周囲が全ての判断を任せてくる。

 

父は本当に頼りなかった。

 

 

火葬が1番耐えられない。

 

 

あの温かい母の手のぬくもりにもう2度と触れることはできないのだから。

 

 

 

 

 

5年経つと案外大丈夫になってくるものだな…と今年の12月を冷静に過ごしている自分を客観的に見てそう感じた。

 

 

5年前の9月、「最後だから。」と抗がん剤をやめた母はわたしの住む国に飛行機でやってきた。

 

母にとっては数日間の楽しい海外旅行の想い出ができただろう。

 

 

でも恐らく身体に大きく負荷がかかってしまったはず。

 

10月のある日、電話をすると母の呂律が回っていない。

 

 

わたしは文字通りすべてを置き捨てて、当日の飛行機に飛び乗った。

(もちろんありがたいことにそれが許される環境だった)

 

 

空港まで来てくれた父は本当に頼りなく運転も危なっかしい。

 

実家に着くと、

母の爪は見たことも無いほど伸び放題だった。

 

そして、もう立てないくらい。

まるで100歳の老婆のような有様に…

 

先月、海外旅行できたのに…

 

 

わたしは

「もう大丈夫だからね。

わたしが来たからね!

どこにも行かないからね!」

 

と母に伝え、

まずは爪を切ってあげた。

 

 

 

そこから、決して長くは無いわたしの介護生活が始まった。

 

 

 

 

昭和思考の父も母も、

わたしの仕事やパートナーに迷惑をかけてはいけないと思い

いつも「大丈夫、大丈夫」と言って実態を全く教えてくれなかったようだ。

 

家族なんだから、迷惑かけてくれていいのに!!

ていうか迷惑じゃ無いし。

 

 

 

 

 

介護は大変で初めてのことだらけで

老人ではない母の年齢を考えると尊重してあげたい尊厳があり過ぎて…

それが1番悩んだ点かもしれない。

 

 

でも長年親と離れて暮らしてるわたしからすると

不思議な幸せもたくさんあった。

 

 

 

 

 

わたしの母は冬ソナから韓流ペンだ。

 

その後長らくイビョンホン推しだった模様。

 

 

だから韓国語教室とかも通っていてハングルも読める。

わたしは別の言語を学んでいたので

母と暮らしていた時は、韓国の食文化や映画は好きだったが

韓国語に全く興味を持ってあげることができず、

あまり母の相手をしていなかったように思う。

 

 

母はいつもわたしのことを

「ビール氏」と韓国語で読んできた。

 

わたしは普通にスルーで

「何、お母さん?」と答えていた。

 

今だったら、わたしも「オンマ」って呼びかけていただろう。

 

 

 

わたしは介護してる当時、遅咲きの新規ジェジュンペンをしており

母の世話をしながらジェジュンばかり聴いていた。

 

夜中なんかも、1人で起き上がろうと転倒して…とか夜中が1番危ないので

わたし夜は毎日一睡もしなかった。(短期介護だからできる過保護ですが)

母の横でひたすらジェジュンの動画を見ていた。

(ジェジュンの傍ら、時々テテペンに教えてもらった防弾少年団を見たりもしたけど当時は沼らず)

 

ジェジュンの歌声はアルファ波でも出てるんじゃない?

と思うくらい透明で綺麗で

恐らくジェジュンをあまり知らない母の耳にも心地良かったらしく

「うるさい」のような苦情は一度もされなかった。

 

 

 

緩和病棟に入る前はずっと自宅介護をしてたのだけど

 

ある日、わたしがジェジュンの「化粧」韓国語バージョンを聴いていたら

母が突然ムクッと起きて

「ペン🖋️貸して」

と言った。

 

 

日によっては、話すのもままならなかったりせん妄状態になったりするので

一体何をし始めるんだろう…

と思った。

 

ペンを渡すと、決して「スラスラと」とは言えないが何か文字を書き始めた。

 

 

 

 

 

読めますか?

 

わたし、最初まったく解らなくて…

 

 

豊??

なにが豊??

みたいな。w

 

 

 

 

じっくり考えると

「ジェジュンの歌詞から一曲」

って書いてる!!

 

字も間違ってるし、文法まで間違ってる

(これが病気の恐ろしさ)

 

 

そして、書き始めた。

 

 

ジェジュンペンの方はこれ見て解読できるかもしれません。

殆ど間違ってるんですが、一部ちょっとだけ合ってるので。

 

 

実はこれ、ジェジュン「化粧」の韓国語バージョンを聴いて、

母なりに耳コピで日本語訳にしてくれたんです。

 

(※もう一度言いますが、殆ど間違ってますよw)

 

 

ビックリしました。

ほぼ寝たきりで、コミュニケーションもままならなかった状態なのに

彼女の「LOVE❤️韓流」精神はけっこう根深いものだったんですね笑

 

(そして、「韓流ににのめり込みすぎるのは危険だ。」のようなアドバイスまでしてくれました。

今思うと、どういう意味だったんだろ意味深だよwww

その話もっと話を聞きたいよ、オンマ...)

 

 

わたしが見た母の直筆は、

これ以外に、自分のお別れ会が開かれた時に飾って。と

ホワイトボードに皆さんへの感謝のメッセージをカタコトで綴ったものが最後でした。

(実際にお別れ会で使いました)

 

 

母は、字はわたしと同じくへたっぴですが、

山本周五郎とか小説が大好きだったので言葉を操るのは得意な方だったと思うんです。

それなのに

簡単な漢字、「曲」が「豊」になっちゃうとか…

文法がめちゃくちゃな日本語になってしまう。とかけっこう悲しくて

わたしは涙目で見守っていました。

 

病って恐ろしいです。正確に言うと、恐ろしいのは病ではなく「薬」なんだろう。とわたしは感じています。

 

 

 

 

 

 

大好きなジェジュンの「化粧」カバー。

これは日本語バージョンです。

本当に美しい……

そして何て物哀しい。

 

 

 

 

 


母が亡くなると、ジェジュンを聴くのが少し辛くなったのもあり、

他のものばかりに逃避していてBTSに落ちた。

 

 

でもわたしはこれからも毎年ジェジュンに会いに行く予定です。

「ジェジューーン!!ありがとうー!!!!」

 

って大声で叫んで感謝を伝えてくるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

雰囲気、めちゃめちゃ昭和だな😂







オンマ、サランへ〜🫰

 

(5年目の余裕ぶり)

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は泣かないんだ。🫡

 

 

バンタンが色んなことを教えてくれたから!😊

 

 

 

 

 

 

今年も残りあと2日、

明日はテテデイ。🐻

 

 

毎年わたしにとっては悲しみで満ちていたこの年末の時期が

明日はテテデイ。によって明るくなれる気がします、

バンタンありがとう、アミありがとう😊

 

 

 

明日は愛に溢れたテテデイになりますように💞✨