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(12/31)の朝日新聞 掲載記事


撮る 故郷伝えるため
陸前高田出身の写真家・上田聡さん
復興支援「母もしたはず」

 がれきにちょこんと座ったぬいぐるみ。頭はないけど、たぶん、テディベア。あの瞬間が訪れるまで、誰かに優しく抱かれていたはずだった。
 渋谷区に住む写真家・上田聡さん(36)が3月15日、故郷の陸前高田で撮った1枚だ。母の美代子さん(当時57)が津波に飲まれたと見られる場所にあった。
 瓦礫の中、周囲には泥を払ったぬいぐるみや写真がぽつぽつと置かれていた。「自衛隊や消防団の方が、『誰かの思い出が詰まってるから』と並べてくれたんでしょうね。」
 あれから9ヶ月。故郷で撮った写真を手に、上田さんは国内外を飛び回る。被災地の悲しみと復旧の現状を伝え、支援の輪を広げる為に。「もし母が生きていれば、故郷のために何かをしていたはずだから」

 母は上田さんと6歳年下の弟がまだ幼い頃に離婚し、女手一つで2人を育てた。介護ヘルパーとして働き詰めの日々。それでも、家に帰れば「学校はどう?」「宿題は?」と何かと心配してくれた。
 「それが煙たかった。それに、何もない田舎から早く抜け出したかった」。流行のファッションや音楽、何より「東京」に憧れた。
 高校を中退し、アルバイトで金をためて上京した。イベント制作会社でのアルバイトをきっかけに、ファッションショーの設営から企画、動画や写真の撮影と幅広く腕を磨いていった。
 そうした仕事は、なかなか母に理解されなかった。地に足をつけた仕事なの?たまの電話はささいな事で口げんかになった。
 そろそろ親孝行がしたい。生活にゆとりが出て来た30歳の頃、そんな気持ちが芽生えた。帰郷するたびに外食や買い物に連れ出した。一度家族旅行に行かないか。そう言うと、母は「疲れるからいいわよ」と照れた。
 約束をかなえる前に3月11日を迎えた。

 地震のあと、丸2日かけて東京から陸前高田へ。あの時、母の車は市街地で渋滞に巻き込まれ、ぎりぎりで津波を逃れた車の2台後ろにあったと知人から聞いた。
 遺体は、あのテディベアから7キロほど離れた場所で見つかった。「人の役にたちなさい」と言い続けた母。死に顔は寝顔のように安らかに見えた。
 故郷のために、写真を撮り続けようと決めた。
 4、5年前にCDジャケットやファッション誌に向けて撮り始め、生業した写真は、報道が扱う様なテーマとは無縁だった。それが今年は一切の仕事を断り、貯金を切り崩して故郷の様子を撮り続けた。
 陸前高田にはほぼ1月1回のペースで通いながら、写真展を始めた。仕事仲間のイタリア人の紹介でローマから始め、東京、マカオ、モスクワ、ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ……。これまでに約30カ所を巡った。
 震災情報が少ない海外から、多く依頼を受ける。「原発事故が起きたフクシマを除けば、もう大丈夫だと思い込んでいた。」「まだまだ大変なのですね」。そんな言葉とともに支援を申し出てくれる人たちと、被災地の団体の橋渡し役を担う。
 講演を頼まれると、壇上からこう語りかける。
 「明日、大切な人がいなくなってしまうと想像してみてください。そんな方が被災地にはたくさんいるんです」
 どこか落ち着かない空気が都会を包む年の瀬。上田さんは30日も港区の事務所で写真集づくりに没頭した。被災地の学校や図書館に配り、津波の怖さを後の世代まで伝えるために。
 いつか、笑顔であふれる写真展を開き、復興を遂げた故郷の姿を世界に伝えたい。
 「微力でも、自分にできることをやり続けます。いつ何が起きても、後悔しないように」
(中川文如)