ブログネタ:いつから目が悪くなった?
参加中
久しぶりのブログでちょっと残念な話。
小学生の時に色弱検査をしました。
当時のことはよく覚えていませんが、色弱だという診断を受けました。
といっても信号の色は判別できるし、日常生活には問題がない状態だそうな。
そんな診断を受けてから、特に大きな支障はなく過ごしてきて、何気なく受けた色彩検定にも合格し、
まぁホントに見分けづらい色調に弱いのだろう。
程度に思っていたのですが・・・
仕事をしていく上で色が見分けられない、色を見つけられないという問題にぶち当たっております。
仕事の重要なことのひとつとして、赤を探す(まぁ具体的な仕事内容を言ってもいいのだけれど(笑))という作業があります。
地面に書かれたその赤い印を頼りに仕事をしていくわけですが、僕はその赤が見えない。
見えないというと悔しいので、言い換えますと、言われれば見える、指差してもらえれば見える
という状況。
ただ、これがひとりで見つけられなければ2倍の時間がかかるし、正直相手も自分も面倒。
はじめは訓練すれば見えるのではないかと思っていたのだけれど、いくら訓練しても見えるようにはならない。
いや、見えないなら見えやすくしようと大きな印をつけることで改善されることもあるのだけれど、どうしたって大きく印がつけられない場所や、太陽光が強く当たると見えない。
そして昨日は、黄色と黄緑の色が見分けられず、ひどく叱られました。
緑の印をつけていたつもりが黄色でした。
よくよく思い返してみれば、小学生の頃から、黒板に赤いチョークで書かれると見えづらくて仕方がなかった。みんなは黒板に青いチョークで書かれたほうが見えづらいと文句を言っていたが、正直青チョークの方が何十倍も見やすかった。
調べてみると 色弱、色盲というのは色覚障害といい、主に赤緑に対する感覚が弱いのだそうだ。
最近は忙しすぎて色覚障害の「程度」を調べに病院へもいけないのだけれど、この障害、治らないのだそうで・・・
なんて考えると今の仕事をやっていく自身が少々落ちていく…
ましてや今すごく心身ともに大変なので余計に。
ただ、この仕事は全体のうちの3割くらいの内容なのでこれができないからと仕事について考えるのは弱腰ではあるのだけれど、その3割が結構重要な3割だったりするから困る。
この障害のことは会社の人に入っていない。
成人を迎えてからの正確な診断を受けていないし、先輩に ダメだなこりゃ と言われたのが案外痛くて、それを理由に見えないから仕方がないじゃんと言い切ってしまうのはなにか残念な気がする。
もともとの体の障害も会社の人に言っていないのだけれど、病気を理由にだけはしたくないというのは
僕の体へのコンプレックスのひとつなのかもしれません。
ふぅ・・・
ただ残念な気持ちをぶちまけただけの駄文になってしまいました。
こうした吐き出すにも吐き出せない部分をこうして綴ってしまう日々が続くかもしれません・・・
最後に一言、
見えないものは見えない。 正直一番自分にがっかりしてるのは自分なんです。