
だから僕は こうして君と背中を合わせているんだけどなぁ。
なんて、言ってみたりして。
言葉に気持ちが乗るのか
気持ちが言葉に乗るのか
どっちなんでしょうね。
どちらも同じようで、でもどこか違うような気がします。
その違いがわからないから、僕は上手に気持ちを伝えられないのかもしれませんね。
ましてや気持ちを言葉に変えて、それを文字という記号に変えるというワンクッションおいてしまう場合は、もう気持ちの具現化というよりも気持ちの整理となり、本来の目的や意味を見失っているような気さえします。
それでも手紙というものに どこか温かみや優しさ、ときには悲しみが読み取れるのは、僕らが経験してきたことの記憶を引っ張り出して、その記憶と文字という形の記号とを結びつけているからなんじゃないだろうか。
あの人の優しさと『ありがとう』の言葉。
あの人の几帳面さと『ごめんね』の言葉。
あの時の悲しみと『…』の記号。
あの人と過ごした時間と『窓際の席』という言葉。
と考えると、伝わる気持ちは伝える側の思いよりも、読み取り側の経験等によって決められてしまうのかもしれない。
いやいや…またなんて面白みの無いことを…しかも結果人のせいにしてるし…最低だ。
でもそれだけ気持ちを伝えるということは難しく、
文字と気持ちを結びつけることも難しい。
あぁ、だから小説家という職業(プロ)が生まれたのかもしれませんね。
ん?またもやネタから脱線してしまっているかな?
う~ん…何パーセントと言われてもなぁ…
具現化したものを解析して数値化するなんてもっと難しいですよ。
そもそも例えば50%といったら果たしてそれは僕の気持ch……
おっと、またもやつまらない話になってしまいそうなのでここにて終了。
ふぅ…
晴れ渡る空を曇りガラス越しに見る世界と
雨降る町を透明なガラス越しに見る世界
大きく違うようで
たどり着く先は同じような気がするのです
だから同じように窓を拭くのです