天国のあなたへ。

 

祥子、君が天国に旅立って8日が経ちました。

2024年3月29日、午後9時18分 あなたは逝ってしまいましたね。

僕と一人息子の龍生に見守られて…

 

病室で最後を迎えるのは本望ではなかったけれど、その2日前まで3人で暮らした自宅で過ごせたことは

あなたが必至で病気と闘ったからです。

本当に良く頑張りましたね。

苦しかったでしょう、痛かったでしょう、思うようにならなかった自分の体がやり切れなかったでしょう。

 

2022年の4月から2年間、自宅であなたを看病できたことは僕にとっては、ありがたいことでした。

これまで、あなたに苦労ばかり掛けてきたからね。

 

あなたが残したノート。

葬儀会社や段取り、そして海洋散骨のこと、臨終の際の自分の扱い方まで様々なことを書いていてくれました。

見積もりやパンフレットも用意してくれていました。

残された僕たちはあなたの希望に添えるよう、一つ一つ決めていけばいいだけでした。

ありがとう。助かりました。

どんな気持ちでノートに文字を書いていたのかと思うと切なくて仕方がありません。

 

日取りや葬祭場のかかわりで、通夜は4月3日18時からに、告別式は翌4月4日11時からに決まりました。

当初、病院から直接斎場の霊安室に運ぶ段取りになっていたんだけど、時間もあるしどうしても一度自宅に戻したくて

変更してもらいました。

おかげで、通夜までの5日間ゆっくりと過ごせました。

 

あなたはまるで眠っているようで、今にも起きてくるんじゃないかと思わせました。

でも、顔に触れると冷たくて…

 

BBQの仲間たちが連日駆けつけて、あなたを偲んでワイワイ昔話をしてくれました。

古いアルバムを全部見せてしまいましたよ。

若いころの「ひみつ」の写真も見せちゃいました。

だって、あなたが若くて一番きれいで幸せな顔をしていたから。

もちろん、年を取ってからの写真も全て皆さん「美しい祥子さん」とべた褒めでした。

そりゃそうです。

僕が選んだ、最高の女性なんだから。

 

葬儀に使う「遺影」はさゆりが東京に来た時、新宿で撮ったものを切り抜いて使いました。

少し前の写真ですが、きれいに良く撮れた写真だったのでそれにしました。

ピントもばっちりであなたらしい美しい笑顔の1枚です。

みんな、「まるで女優さんだね」「本当にきれい」とまたまた褒められました。

僕の誇りです。

 

龍生のこと、心配だと思います。

でも、彼は本当に逞しい男性に育ちました。葬儀の間も泣き崩れそうな僕の肩を叩いてくれて、

ずっと励ましてくれました。

強い男になりましたよ。

きっと、次の仕事もちゃんと見つけて頑張ってくれると信じています。

 

まだまだ、ばたばたと手続きやら役所やらとしなければなりません。

なぜか仕事もあれこれ入ってきて、忙しくなりそうです。

 

今日は4月6日(土)で、昼ごはんを食べに大和町の行列ができるラーメン店に二人で行きました。

1時間ぐらい並んで「特製ご恩ラーメン 塩 大盛」を食べてきました。

とても綺麗な感じのいい店で、味もよくて大満足でした。

あなたを連れてきたかった。

きっと一緒に来てくれていたよね。

 

また、書きます。

 

僕の太陽 祥子へ

 

和明