去年の年末から始まった(自分の中での)ゲーテ祭り。・

なぜ祭りをはじめたのかと言えば、世界最高峰の文学と言われる「ファウスト」を一発で理解したかったから…。

ファウスト、学生時代にちょっと読みかけたことがあるんだけど、戯曲ってのがどうもなじめず、あと意味もよく分からずで投げ出してしまったのだ。

で今回は、ゲーテ本人及び関連本を何冊か読んで、その思考や文体に慣れてからのチャレンジ。
さあどうだ!ファウストどんと来い!!

ファウスト一部、あっという間に読了。
面白かった~~~!(自分万歳…)

まず戯曲調ね、これは慣れてないと違和感があるんだけど、いわば舞台の脚本なので、頭の中で情景を想像しながら読むと、小説のように余計な心理描写がない分話がとんとん進んでいいかも…。

ゲーテ、やっぱり文体が美しい。
人間の醜悪さだったり弱さだったり、そういうのを描いているときでも文体が美しくて、なおかつ簡潔な言葉の中に本質を埋め込む明晰さ。
訳されててもそう思うんだから、原文で読んだらどれだけ感動するんだろう。
いいなードイツ人。(そこか)

一部の最大のみどころといえば、グレートヒェンの悲劇!!
ファウストに見染められたグレートヒェン、ファウストと一夜を共にするために母親に睡眠薬をしこむんだけど、量を誤って母親は死んでしまう。
そしてファウストに決闘を挑んだ兄は殺され、当時結婚前に性的関係を持つことは罰せられるため、ファウストの子を身ごもったグレートヒェンは、発覚を恐れて生まれた子を殺してしまい、捕えられ死刑宣告される。

それを知ったファウストはグレートヒェンを助けるために牢獄に忍び込むんだけど、グレートヒェンはファウストと逃亡することを拒み、刑を受け入れる。

かーわーいーーそーーーーうーーーーーー(;;)

作中、“糸を紡ぐグレートヒェン”という、グレートヒェンが歌う歌があるんだけど(シューベルトによって作曲もされている)、その歌詞の切なさと来たら。

「私の安らぎは去り、
 心は重く沈んでいる。
 そしてそれはもう二度と
 かえってくることはない」

ファウストへの恋に囚われ、唆されるままに過ちを犯したグレートヒェン。
罪は重く彼女の心を苦しめ、それでもファウストに対しての深い愛情は変わることがない。
勝手に恋されて誘惑された挙句捨てられて、恨んだっていいのに…。

また、彼女が友達と、罪を犯した女性について語るシーン。
何も知らない友達は、罪を犯した女性を「罰せられればいいのよ」と好きなだけ責める。
しかしグレートヒェンにとっては、もうそれはわが身同然。
友と別れたあと、「なぜ今まで自分は何も分からず、あの友達と同じように罪をなじることが出来ていたのだろう。なぜこんなことになったのか。それでもここに至るまでの過程はなんて嬉しかったことだろう。」

罪を悔いつつも、ファウストと恋に落ちて結ばれるまでの過程を歓びの日々として思い返すグレートヒェン…。

多分以前ファウストを手に取った時の私なら、グレートヒェンを愚かで哀れな少女としてしか見れなかったと思うけど、今の私には分かる。
手に取るように分かるのよ、グレートヒェンの気持ちが!!!!!!(姉さん何があった…)

古今東西、女性の弱さが一番出るのは恋愛なんだよね。
鎌倉時代の某賢人の言葉にも、「男は恥(=名誉)のために命をすて、女は好きな男のために命を捨てる」とあった。

男と女がそれぞれ何を一番大事にするか、何に一番囚われやすいかを端的にあらわした言葉なんだけど、昔も今も、東洋でも西洋でも本質は一緒なんだな。

そして恋愛で心身ともに傷つくのが多いのもやっぱり女性。
それでも相手を恨めないのも女性。

男よ、誠実であれ…。(←何者)

そうそう、私の尊敬する壮年の方は、「男はずるくて女はバカだ。男がずるいのは治らないから女が賢くなるしかないんだ」ともおっしゃってた。
まさにその通りなんだけど、恋に落ちたときに賢くふるまうのが女性にとってどれだけ難しいことか…。(だから何があった)

このファウストとグレートヒェンの関係は、以前ゲーテが一方的に捨てた牧師の娘、フリ—デリーケとの関係が投影されているという。
ファウストもゲーテも勝手すぎ!!男ってやつぁ!!(自分どうどう…)

さ、グレートヒェンの悲劇はこの位にして…。(あっさり)

興味深いのが、ファウストを堕落させる悪魔、メフィストフェレスの存在。
もっと悪の権化のような感じかと思いきや、まるでファウストの味方かのように振る舞い、甘いささやきをする。
でも結局メフィストフェレスはささやくだけで、堕落する道を選ぶのはファウスト自身。

でファウストが自分の意と反する結果になってメフィストフェレスをなじると、「その道を選んだのは俺か?あんたか?あんたでしょ」と…(笑)

自分にとってよくないものって、明らかにそういう顔をとって現れるのではなく、もともとある自分の弱さをそっと後押しする存在として現れるのだ。
それを見破る心眼を持ってないと、気付かない内に堕落してしまう。

そしてもう一つ。
メフィストフェレスは悪の存在だけど、その存在が逆にファウストに正しい、充実した人生とは…と考えさせる。
人間は順風満帆な光の中だけを歩いていても深まらない。
闇を知り、闇を乗り越えて得る光こそ不滅の輝きを放つ。
(闇なくして光は存在しない…ってのはアンパンマンでもテーマの一つになってたな。)

物語の冒頭で、メフィストフェレスが神にファウストを誘惑していいかと尋ねたときに、神が「一度道を外れても、正しい道に必ず戻ってくる」というようなことを達観して答えたのも、メフィストフェレスの存在が逆にファウストをより正しく強い道に導いてくれると分かってたからかも。

さて、次は第一部と打って変わって難解だと評判の第二部。
ついていけるかな?

ついていこう。ファウストの魂の遍歴に。