今日は台風で午後半休。
録画したまま観れてなかったルパン三世VSコナンくんやっと観れた。
コナン君が好きで録ったんだけど、ま~ルパンと次元のかっこいいことったら!!!
あんな遊び心満載の大人になりたいな~
(ってもう大人だけども)
そして「詩と真実」、ふせんだけ貼ったまま転記できずに終わるかもと思ってたけど、一気に転記しよ。
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若い友人同士での、お世辞の言い合い、褒めあい、持ち上げあいという邪道に、私もかなり深く入り込んでいた。
仲間内では、私の書くものは常によいものとされていた。
女性、友人、庇護者たちは、自分らのために企てられ、歌われたものを、悪く思うはずが無い。
こうしたお世辞からは、結局、互いにいい気持ちにさせあうだけの空虚な表現しか生まれない。
時々より高い感性を求めて鍛え上げられないかぎり、虚言を弄しているうちに、個性は容易に失われるのである。
したがって、私のうちに巣くい、働いたかもしれぬ、自己満足、うぬぼれ、虚栄、自負、驕慢のたぐいの一切が、たまたまある人と知り合ったために、非常に厳しい試練にさらされることになったのは、幸運といわねばならなかった。
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人を引き寄せたりはねつけたりすることは、誰もが生来持っているものであって、程度に差があり、それの現われる頻度に違いがあるにすぎない。
こうした性情を真に克服できる人は稀であり、多くは克服したようなふりをしているだけのことである。
ヘルダーの場合、その反発的な、苦々しく、辛らつな気分の方が表に出たのは、確かに、彼の病気とそれから生ずる苦悩のためであった。
こうしたことは、人生においてしばしば生ずることであるが、人々は、病気の精神に及ぼす影響を充分に考慮せず、すべての人間を健康と考え、健康な人間と同じように振舞うことを求めるが故に、多くの人の性格を、まったく不当に評価するのである。
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私は、自分の教養に役立つものはすべて、大いに尊重することができたし、それどころか、何度となく以前の意見や好みを放棄していたので、当時の私の考え方で可能な限り、正当な非難と不当な侮辱とを区別することにつめた。
こうして日々が、私にとって教えられることの多い、きわめて実り豊かなものになった。
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私は、他の人よりも感謝の念にとぼしかった。
受けた恩義を忘れ、一時的な誤解によって生ずる激情にかられて、きわめて容易に忘恩の行為に走ることが多かった。
これに対処するため、私はまず第一に、私の持っているすべてのものについて、どうやってそれを手に入れたか、贈り物にせよ、交換したにせよ、購入したにせよ、あるいはなにか他の手段によったにせよ、誰によってそれを手に入れたかを常に想起する習慣を身につけた。
私の収集を人に見せるときには、その一つ一つが私の手に入る仲介をしてくれた人のことを思い出し、さらには、私にとって、好ましく価値ある品々が私のものになった機会、偶然、あるいはきわめて遠い機縁、協力などにたいして、相応の感謝の意を表す習慣を身につけた。
われわれの周辺にあるものはそれによって生命をえ、われわれはそれを精神的な、愛情に満ちた関連において眺め、それのよってきたる由縁を考える。
過去の状態をいまに引き戻すことによって、目前にあるものが高められ、豊かにされる。
それを贈ってくれた人がまた目に浮かび、その姿が楽しい思い出と結びつく。
こうして、忘恩は不可能になり、折にふれてその恩に報いることが容易になり、また望ましいものとなる。
それにそれについて、われわれは物質的でない所有物への考察にも導かれ、われわれの精神的な宝が、なににもとづき、いつ始まっているのかを、進んで想起するようになる。
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愛が青年に活気を与えていないならば、また、いかなるものであれ、深く心に関わるものが青年のうちに働いていないならば、なにに青年は最高の関心を見出し、いかにして同輩のあいだで関心を呼び起こすであろうか。
私は一人静かに失われた恋を嘆かねばならなかった。
これが私を穏やかにし寛大にした。
こうして暗い悔恨の時期は、いつもの元気付けてくれる愛もなく、言いようもなく苦しく耐え難いものであった。
しかし人はいきることを願う。
それゆえ私は、他の人に細やかに心を使い、もつれをほぐしてやり、私のような目に合わないように、別れようとしている人々を結びあわした。
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