「ゲーテとの対話」は読んでいてとても快かった。
ゲゲゲの原作者の水木しげるは、若き日に、戦地にこの書を携えていったそうだけど、なんだか分かる気がする。
ゲーテとエッカーマンの美しき師弟の対話は、詩や絵画、自然科学、人間、国家などあらゆる方面に亘っているけれど、そこに貫かれている本質というか、真実みたいなものに触れると、なんだか心がすっとリセットされるのだ。
どんなに高揚するようなことがあった一日でも、この本を開くと、一瞬にして自分がエッカーマンを通じて偉大なゲーテの講義を受けているような気持ちになる。
自分は幸い戦争を知らない世代だけど、きっと理屈もへったくれもない狂ったような興奮状態にあるだろう最前線でこの本のページを繰ることは、水木さんにとっては人間としての心を失わないための支えになったのではないだろうか。
人の心に影響を及ぼそうとしても、結局武力は知力には敵わないのだ。
そしてこの本で私が最も感動したのは、ゲーテとエッカーマンの師弟の結びつき。
最初は単純に、エッカーマンはゲーテの言ったことを書きとめただけの人って思っちゃってたんだけど、それだけならここまで作中のゲーテに生命力が宿るはずがない。
後書きに書いてあったけど、この本が出版されたときは、批判する人もいたらしい。
エッカーマンは批判精神もなく、ゲーテのいうことをただ聞いて全部鵜呑みにしてるだけのイエスマンだ的な…。
それ読んでびっくり。だってエッカーマンはゲーテの弟子だもの。
弟子は師匠を批判なんかしない。プラトンはソクラテスを批判したか??
ひな鳥が親に全幅の信頼を寄せるように、師匠のいうことを全部「その通りです」と受け止めて吸収していく。
その弟子としての謙虚さがあったからこそ、ゲーテの珠玉の言葉がここまで完璧に後世に残されたのだ。
(それに比べてベートーベンの弟子ときたら…ああ…)
師弟って美しい結びつきだ。肉親のような血の結びつきでもなく、恋人のように相手に何かを求めるのでもなく、師は弟子の成長を願い、弟子は師を宣揚していく。
なんて純粋な関係でしょうか。
エッカーマンはゲーテの言葉を忠実に書き写したことの他に、ゲーテから人類の遺産になるような真実の言葉を引き出した功もある。
エッカーマンじゃなかったら、ここまでゲーテが語ったか、対話が広がりを見せたか分からない。
それは、ゲーテの精神や芸術を誰よりも理解する利発さがあったこと、ゲーテを敬愛する心に満ちていたこと、そしてエッカーマン自身の人徳によるものだろう。
(唯一エッカーマンがゲーテに反抗らしきものをしたのは色彩論の中の一部分について。それに対してゲーテは機嫌を損ねたそうだけど、その理由をのん気に分析してるエッカーマンのおおらかさが可笑しいあと、作中に度々出てくる“ゲーテは嬉しそうだった。それで私も嬉しかった”みたいな記述が微笑ましい。)
そしてゲーテが素晴らしいところは、一方的に語るのではなく、自分の未知の分野についてエッカーマンが詳しいと、謙虚にそれについて聞くところだ。
弓についてや鳥について、「あなたの話は面白い。もっと聞かせてくれ」と、子供のように色々質問するゲーテの知的欲求の貪欲さは素晴らしい。
最後に、ゲーテとエッカーマンの師弟の結びつきを感じさせる箇所をいくつか抜粋。
Eはエッカーマン、Gはゲーテ。
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E:ゲーテは依然として、紛うことなき希望の星として私が日ごとに仰ぎ見た詩人の中の詩人であった。
その言葉は私の思考と溶け合って、私をさらに一段高い観点に導いた。さまざまな対象を取り扱う際の素晴らしい技術のほどを私は絶えず探求し追及した。そして彼に対する私のこころからの愛情と尊敬はほとんど熱情的性質を帯びてきた。
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E:今日はじめてゲーテ邸を訪れた。彼が私に与えた印象。私はこの日を私の生涯のうち最も幸福な日に数えたい。
私たちは長い間を一緒にいた。静かで心楽しい雰囲気。(略)
幾ら彼を眺めても飽きなかった。その容貌は非常に力強く見えた。なみなみならぬ誠実と不抜、平静とがあった。
誰でも彼に接した人は、この人は自らの心の世界を確固と守り、世のほうへんを絶した境地にいると思うだろう。
私の場合のこの印象はなんとも筆舌に尽くしかねる。私は満ち足りていた。それはちょうど幾多の努力と永い間の憧れのあと、遂に最も美しい願望を遂げたあとに覚えるものに似ていた。
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エッカーマンがゲーテの子息とイタリアに旅立つとき。
E:ゲーテと決別することに私は一種の感動を覚えた。けれども、彼の確固とした達者な姿を見て、必ずつつがなく再会できると信じて自らを慰めた。
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エッカーマンが旅先からゲーテに送った手紙の一部。ゲーテとの対話について。
E:それは知識と芸術とのあらゆる分野に亘る偉大な原理に関するものであり、人間の高邁な問題や、精神的作品や、現世紀の智嚢と卓抜な人物たちの刑事についてのものでもあります。
この六年間というもの、私はあなたに親近してこの幸福を享受する機会に接しました。
この対話は私にとって尽きるを知らない教養の基礎となりました。
そして、これを聞き、これを心に納めることを私はこよない喜びとしたのですが、私はまた、この幸福を他の善き人々のためにも分かとうと思いました。それで、筆をとって、これを人類の善化のために蓄えました。
(略)
私はあなたをこそ私の胸に抱きます。身はいずくにあろうとも、至高の尊敬と愛情を捧げるに変わりない私は全くあなたのものです。
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ゲーテについて
E:この人にならわんとする者は、それゆえ大いに向上するであろう。あらゆる粗野なもの、真実ならざるもの、利己的なるものは心から消え去るに違いない。
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G:私のように80の坂を越すと、これ以上生きながらえる資格はほとんどない。それでいつでもこの世にお別れする覚悟をしていなければならない。
あなた(エッカーマン)に先日打ち明けたように、私の遺書の中で、あなたを私の文学に関しての遺稿の編集者と指名した。
(別の箇所で)
自分の遺書にこれらの手紙の出版社としてあなたを指名しよう。そして、その場合履行すべき手段について、私たちはお互いに異議なく一致したと表示しておこう。
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ゲーテの死後、遺体に面会して。
E:私は彼の髪の一房を欲しかった。けれども、恐れ多くて切り取ることを躊躇した。(略)
一人の完璧なる人間が偉大な美しさで私の前にあった。私は感動のあまり、一瞬、あの不滅の精神がこの遺骸を立ち去ってしまったことを忘れた。
私は手を彼の胸にあてた。
限りも泣く深い沈黙。
そして私は辞去した。堪えに堪えていた涙がとめどもなく落ちた。
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E:彼に対する私の関係は独特のもので、実に細やかな味わいを持っていた。
それは師に対する弟子、父に対するこのそれでもあり、教養豊かな人に対する教養乏しい者の関係でもあった。
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E:彼はもう数年ならずして80歳になるが、探求や吸収に膿むことを知らない。いかなる方面においても、決してとどまるところがない。
絶えず前へ前へと、進もうとしている。
つねに学び不断に学んでやめない。そして正しく、これによって彼は永遠に絶対滅びることのない青春の人として出現しているのである。
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最後に、ゲーテの詩の一節。
この眼路や
遥かなり、高かり、美わしかり
一望生命に溢る
山脈より山脈へ
ほのかにたゆたうもの
永遠の霊
永遠の生
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さて、ゲーテとの対話を読了したので、いよいよゲーテの著作の森への長い長い旅路に入っていこう。
まずは、「ヴィルヘルムマイスターの修業時代」から、スタート
(来年はゲーテの年になりそうだな…)