せっかくPCあけたので、ゲーテとの対話の備忘録をせっせと…。

ようやく上の半分まで…ううっ...

貸し出し延長しなきゃ読み終わらないな。


赤字は、引用した文に対する私の呟き。


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ゲーテが自分を批判する人たちの分類わけしてる箇所。


第一種を蒙味による敵と名づけよう。この連中は私をわかっていない。私をしることなくして避難を加えるのだ。これはおびただしい数であるが私の生涯をひどく物憂いにするだけだ。とはいえ彼らは自分がやったことを自分でわからないのだから、とりたてて攻めるに及ばない。


次に第二のものも非常に多いが、これは私を嫉妬する人たちである。私は自分の才能によって幸福に与かり、名誉ある地位に達したのだ。それがこの人たちには許せないのだ。彼らは私の名声にケチをつけ、進んでこれを地におとそうとする。もし私が不遇だとか惨めであったのならばこうしたことはやらなかったであろう。


次に多いのは、自分が上手く行かなかったことからわたしの攻撃者となった人たちだ。この中には才能の豊かな人がいる。けれども、彼らの光が私に奪われているのが彼らにはガマンできないのだ。


第四は理由を上げて反駁する者である。私は神ならぬ身である。だから人間としての欠陥も弱点も備えてるし、私の著作もこれを免れているわけではない。けれども、私は自分を真剣に培い身をためるいそしみを片時も忘れていない。それで、不断に前進している。そして彼らが批難の矛先を向けたある欠点も私がとっくに乗り越えた跡に過ぎない場合が多い。こうしたお歴々の筆はほとんど私の害にはならない。彼らは私に向かって発射したと思っているが、私はもう数里の遠くに離れているのだ。(略)


さらにたくさんいるのは思考方法と見解の相違から反対してくる人たちだ。一本の樹の葉の中にもほとんど完全に同じだといえるものはないというのに、数多い人間の中でその志向や考え方が全く一致している者などは求められるものではない。

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いつの時代でも偉大な人は必ず批難中傷にさらされるんだな。

過去、偉人といわれる人で誰からも批難中傷されなかった人なんて聞いたことがない。

しかし本当の偉人というものは、嫉妬する輩にどんなに批難されようが、決してその本来の輝きを奪われることがない…。


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いっさいの修行とは、私たちが持って生まれた傾向を矯めようとする点にかけられているのだ。人が自分につじつまを合わせてくることばかりを望むのは全く愚かな話だ。私はそんなことはしなかった。

私はいつも一個の人間をひとつの独立した個性として観た。


そして私はこれを探求してはその独自性の中から自分に加えるべきものを学ぼうとしたが、決してその人から同情を求めようとはしなかった。こうやって私はどんな人間とでも交わることができるようになった。


それにこうしていけば多種多様の性格がわかってくるばかりではない。生活に必要な円滑さも出てくるものだ。

性質がまるで反対の人にあった場合は努めてこの人たちとよくいくように心がける。

そのためには自分の中の一切のさまざまな方面が動員されるので発展ともなり生長にもなる。それでどんな人に対しても即座に身を処して誤りなくなった。

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私は人見知りで、自分と同じような価値観の人以外と新しく接するのが苦手なんだけど…。

あえて反対の人と交流していくことで自分が成長していくのなら、積極的に頑張らないと。


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75歳にもなるとときどき死について考えないではいられなくなる。これを想っても私はしごく平安である。我々の精神は全く滅びるものではないと私は確信している。

これは永遠から永遠にわたって働き続けるものだ。われわれのこの眼でみると単に沈んでいくのだとしか見えないあの太陽のようなものだ。あれはもともと決して沈むものではない。絶えず輝き続けている。

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生命が永遠に流転していくという考え方は仏教に近い。

ベートーベンも亡くなる前、インドの思想に興味をしめしていた。


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今日わが国の青年をみるに、これまで先人が多年に亘っての研鑽と体験を経て到達したものを、あたかも生まれながらにして既に実に備えているかのように妄想している。(略)


社会全体のためにわれ行かんとするまじめさは少しも窺えないし、社会全体のためにつくそうとする気配もさらに見えない。ただ自分の名を著し、世間にできる限り喧伝させようとする。

こうした誤った営みはいたるところで見られる。そしてこれは最近の大家たちの真似をしてるようだ。この大家たちはその演奏曲目を選ぶ場合、聴衆に純粋な音楽の歓びを送ることを主眼とすべきであるのに、それよりむしろ自分の演技の素晴らしさを褒めてもらうに都合のいいものを取り上げる。華やかに見せようとする人物はどこにでもいるが、全体のため、大儀のためには自己を無にしようなどという正しい努力はどこにも払われていない。

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この箇所を読んで、先日新聞で読んだ話を思い出した。

ある歌手の人が歌で被災者を慰めたいと避難所をまわったそう。

最初は自分の技術が発揮できる得意な曲ばかりをやっていたけれど、それでは被災者の顔は少しも晴れなかった。

それで、途中から、みんなで歌えるような、やさしい歌を歌うようになったら、被災者が顔を輝かせて一緒に歌ってくれた。

その歌手はそれまでの、被災者のためといいながら結局自分本位だった自分を恥じた…っていう話。


ゲーテ、一言一言が本当に深い…。

上記のような言葉が、講演だったり論文だったりじゃなくて、単にエッカーマンとの雑談でされてることに驚いてしまう。

そしてエッカーマンはよくもそれを一語一語正確に記録していたものだ。


下合わせて残り四分の三…。

ががががんばらねば…。