先日図書館に行ってきた。


忙しさを言い訳にしばらく読書から遠ざかっていたことに危機感を感じ…。


まずは読みやすそうな本からリハビリ開始…と思って、借りたのは「童話物語」「夜の果てまで」「旅をする木」の三冊。


「童話物語」と「夜の果てまで」は、ネットで評価が高かったので読んでみたのだけど、ぶっちゃけあんまり好みじゃなかった。(好きな人いたらごめんなさい)


「童話物語」は、一人の少女が妖精と出逢って強く優しく成長していく物語なんだけど…、残酷なシーンが多くて読んでて気分が悪くなった。

この物語、すごく性格の悪い少女が徐々に変わっていく…っていう過程を描きたかったのだろう、少女が性格が悪く育った理由を序盤に示そうとしてるのは分かるのだけど、少女の周りの人間が皆あまりにも少女に対して残酷すぎる。


例えばお腹がすいてた少女、仕事の帰りにパンやの裏に生ゴミにまみれて捨てられたパンを拾って食べる。そしたら次の日そのパン屋がわざわざ少女の勤め先に来て「この娘が泥棒をした!」と雇い主に言いつける。

少女が「だって捨ててあったから…」と言ったら、「あれは捨てたんじゃない、置いといたんだ」って。

そしてこのパン屋、そもそも最初から少女が拾うのを分かっていてわざと生ゴミにまみれるようにパンを捨てたのだ。


わざわざそこまでして嫌がらせする人いる~~~~???(疑惑)

こ汚い少女が自分とこのパン拾うのがいやだったら、店先で蹴り飛ばして追い出すとかならまだ分かるけどさ。

恨みもないのにわざわざそんなことするかねぇ?


あと少女に暴力を振るってた職場の上司に、少女がたてついて逃げ出したあと、その上司が「殺してやるーーー!!」ってわめいて村の大人たちを引き連れて少女に捕まえに行くんだけど、雪が降ってくるわけ。


そしたら村の大人達、「この雪ならもう凍死しただろう」と安心して引き上げていく…みたいな。


えええええ~~~~~~~~っっっっムンクの叫びあせる


いやいや上司一人が頭おかしいなら分かるけどさ、これまたなんの恨みもないただの少女が雪に埋もれて凍死するのに村中の大人が全く良心の咎を感じないなんてあり得る~~~?

あり得ないでしょ~~~~~~~あせる


他のイジメの部分でも、容赦なく殴られるわ蹴られるわ、食事の代わりにモップを口に突っ込まれるわ…ひぃぃ~~~ムンクの叫び


こんな仕打ちを幼い頃からされ続け、すっかり性格がひねくれまがり、弱ってる子猫を蹴飛ばして殺したりする性格の悪い少女が、妖精とであったことで徐々に変わっていきましたとさ。


………。


ムリ~~~~~~~っっっっガクリあせるあせる

大筋はファンタジーらしいファンタジーだけど、物語の導入部分がこれじゃ暗澹たる気持ちになるがな…ハートブレイク

とてもじゃないけど、「わぁ~ペチカ(少女の名前)、成長したなぁ~ラブ音譜」なんて思えないしっっビックリマーク


まあ一応最後まで読んだけども…児童書を読んで感じるような、読後感すっきり!さは全然なかった…。


そして「夜の果てまで」。

これは、恋愛小説ランキングナンバー1っていうのをネットで見て借りたもの。


これは「童話物語」以上に受け付けなかった。


恋愛小説だから、「分かる分かる~!」って共感できたり、読んでて胸がきゅんとするようなのを求めてたわけ。


なのに、学生と人妻が禁断の恋に落ちて、人生棒に振って堕落していく話だった…ああああ…ガクリガクリ


しかも性描写が多い上にやたらリアルで気持ち悪かった…汗

主人公の学生にも人妻にもこれっぽっちも共感できないし。

「ただひたむきに互いの人生に向き合う二人を描いた、感動の恋愛小説」って書いてありますけどね。


ひたむきに人生に向き合うってのは、恋に溺れて夢だった内定先との約束をすっぽかし、内定取り消されて東京に駆け落ちしてスリでお金を稼ぐことなんですかね?

そして彼女に振られたらその腹いせに女性相手に身体を売るバイトをすることなんですかね?(大学生)


それか「あの旦那は話してもムダだから」と将来有望な学生を駆け落ちにつき合わせて、「あなたには将来があるんだからもう私のことは忘れて」って口先だけで言っておきながら、学生が「別れない」って駄々こねたら「二人でいられるだけで幸せ~」ってあっさりいちゃいちゃ同棲生活を送ることなんでしょうかね?(人妻)


読んでてどんどん気持ちが冷めた。

人生にひたむきに向き合うっていうのはさ、感情のままに堕落していくことじゃないでしょ。

禁断の相手に恋をすること自体が罪だっていってるわけじゃなくてさ、自分の感情を乗り越えて、自分の弱さに打ち勝ってこそ人生と向き合うってことでしょ。


そしてお世話になった内定先だの故郷の家族だのに迷惑かけて、これっぽちの恩も感じずに、恋もへったくれもねーだろーがっっこの若造が!!!って読んでてオバちゃんイライラ…むかっ(誰がオバちゃんだ誰が…)


まあこれも一応最後まで読んだけどさ。


そして最後、「旅をする木」


これは良かった。

96年に、クマの襲撃にあい若くして人生を去った写真家星野道夫さんのエッセイ。

星野道夫さんの写真集は、本屋でなんどか見かけたことがある。

どういう方なのかは今回本借りるまで全く存じ上げなかったけれども、オーロラとか、星とか、そういう写真集。


もう亡くなってたなんて知らなかった。


星野さん、昔から大自然に魅せられて、アラスカに移住されて18年。主にアラスカの暮らしや、昔の回顧録を短編としてまとめてるもの。


まず文章読んで思ったのが、この方本当に写真家なの?ってこと。

本業は作家さんじゃないの?ってくらい文章が素晴らしく美しい。


写真は一枚も無いのに、読んでて情景が浮かんでくるよう。


そして、人間の心の機微を、すごく繊細で優しい表現で描かれている。


心にぐっと来た箇所いくつか抜粋。


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秋は、こんなに美しいのに、なぜか人の気持ちを焦らせます。短い極北の夏があっという間に過ぎ去ってしまったからでしょうか。それとも、長く位冬がもうすぐそこまで来ているからでしょうか。

初雪さえ降ってしまえば覚悟はでき、もう気持ちは落ち着くというのに…そしてぼくは、そんな秋の気配が好きです。


無窮の彼方へ流れ行くときを、めぐる季節で確かに感じることが出来る。自然とは、何と粋な計らいをするのだろうと思います。一年に一度、名残惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないのかもしれません。

(さくら注:私はこれ、桜の季節に毎回思う。あと何回満開の桜をみれるんだろうって)


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「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやそのときの気持ちをどんなふうに伝えるかって?」


「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」


「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…その夕陽をみて、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」


人の一生の中で、それぞれの時代に、自然はさまざまなメッセージを送っている。この世へやってきたばかりの子供へも、去ってゆこうとする老人にも、同じ自然がそれぞれの物語を語りかけてくる。


まだ幼かった頃、近所の原っぱで紙芝居を見終えたあと、夕ご飯に間に合うように走って帰った夕暮れの美しさは今も忘れない。あの頃、時間とか、自分を取り巻く世界を、一体どんなふうに感じていたのだろう。一日が終わってゆく悲しみの中で、子供ながらに、自分も永遠には生きられないことを漠然と知ったのかもしれない。


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ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。


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昔、電車から夕暮れの町をぼんやり眺めているとき、開け放たれた家の窓から、夕食の時間なのか、ふっと家族の団欒が目に入ることがあった。そんなとき、家の明かりが過ぎ去ってゆくまで見つめたものだった。

そして胸が締め付けられるような思いがこみ上げてくるのである。あれは一体なんだったのだろう。

見知らぬ人々が、ぼくの知らない人生を送っている不思議さだったのかもしれない。同じ時代を生きながら、その人々と決して出会えない悲しさだったのかもしれない。

(中略)

日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言い換えれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。


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私たちが生きていくということは、誰を犠牲にして、自分自身が生き延びるのかという、終わりのない日々の選択である。生命体の本質とは、他者を殺して食べることにあるからだ。

(中略)

この世のおきてであるその無言の悲しみに、もし私たちが耳をすますことができなければ、たとえ一生の山を歩きまわろうとも、机の上で考え続けても、人間と自然との関わりを本当に理解することはできないのではないだろうか。

人はその土地に生きる他者の生命を奪い、その血を自分の中に取り入れることで、より深く大地と連なることができる。そしてその行為をやめたとき、人の心はその自然から本質的には離れてゆくのかもしれない。


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風がすっぽり身体を包むとき、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいひどやわらかい真の化石なのだから…。


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頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい…ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れてゆくときを、大切にしたい。

あわただしい、人間の日々の営みと並行して、もうひとつの時間が流れていること、いつも心のどこかで感じていたい。


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この本を読んだら、なんだかすごく気分が落ちついた。


ネットやニュースをみれば、誰もが自分の利益や国益を追求し、害をなすものは互いに敵だとみなし、汚い言葉で相手を罵りあっている。


会ったこともない相手に対して罵倒したり、嘲笑したり…。


人の心がせめぎあい、ぶつかり合い、どうしようもなく息苦しいこの社会において、星野さんの本は、人間も結局は地球に生かされている大いなる自然の一部に過ぎないということを思い出させてくれる。


地上で四方八方を囲まれて窒息しそうだったときに、ふっと宇宙まで飛んで、大空から地上を眺めたような…。


星野さんの本には死の話もたくさん出てくる。でも、優しさと寂しさを持って描かれる文章にあっては、生と死も自然の営みであり、植物が枯れるように、動物が息絶えるように、万物が流転していくような、ごく当たり前のことのように思えた。


星野さん自身も、キャンプ中にヒグマの襲撃にあって命を落としている。

44歳の死は早すぎる。でも、死んだように生きている人間がたくさんいる中で、地球の鼓動を感じ、生命の温もりに触れ、同じ心を持つ仲間達に囲まれて生きた人生が、他者の80年に劣るとは決して思わない。


短くも彗星のような軌跡を描いた美しい人生だったんだろうな。

そして日本語がとても美しい…キラキラ


読書、すごく良かった。(前二冊に関しては文句しかいってないけど…ガーン

読書の習慣取り戻すぞーーーー!!


おまけ


ものすごくどうでもいい話だけど、日本語関連で、最近ネットで「うる覚え」という表現を見かけるたびにちょっとイラっとする。


「うろ覚え」だろーーーーーーー!!!!って。


3人に1人くらい間違えてるならいいんだけど、逆に「うろ覚え」ときちんと表記してるものをほとんど見かけない…。


他のいい間違いは気にならないんだけど、自分でもどうかと思うくらい「うる覚え」っていう表現がすごく気持ち悪く感じる。なんでだろ?