世田谷パブリックシアターで、萬斎さんの舞台「マクベス」を観てきた。


世田谷パブリックシアターは大好きな劇場。

中の作りがなんか洞窟の中を思わせるというか…鍾乳洞の中にいるみたいで、異空間気分を味わえる。


音響トラブルがあって、7時をちょっとまわってからの開演。


会場が暗くなり、舞台には地球を模したかのような蒼い大きな半球が置かれている。


星々が輝き、「森羅万象」「宇宙の屑」「文明のゴミ」だの、印象的な短い言葉が、まるで四方八方から聞こえてくるような演出でナレーションされる。


半球が光り、浮かび上がる人間のシルエット。

あまりに細いので一瞬女性かと思ったけれども、舞のように刀を振るい、体重がないかのようにフワリと飛び上がるその美しい所作は萬斎さんのものだ。

(陰陽師のエンディングっぽくてかっこいい…)


地球が割れて廃墟のようになり、あらわれたのはやはり萬斎さん。


う~むと毎回思わず唸ってしまう演出の素晴らしさ。

萬斎さんの作る芝居は、あらすじの面白さや役者の感情だけで訴えてくるような芝居ではない。

そこかしこにこれでもかと演出の工夫がなされていて、良い意味で卓越した「技巧」というものを感じる。


巧みなのは演出だけではなく、出演する役者さんも同じ。

単に演技がうまいということではなく、声、身体など、何かしら自由自在に操れる技能を持っている。


萬斎さんのシェークスピアを観に来たのは、「まちがいの狂言」「国盗人」に続き三作目だけど、今回は演者が5人だけと知って、最初はちょっとがっかりした。


今までの二作は、万作一門の狂言師が必ず何人か出ていて(まちがいの狂言は全員狂言師)、それに加えてマイムのプロや現代劇の俳優さんなどが取り混ざり、それぞれの技術が組み合わさってとんでもないプロ集団としての面白さを放っていたので、人数が少なくなるということはそれだけ味気ないものになるのではと危惧していた。


しかししかし。


なんでしょうかこの少数精鋭っぷりは…。


特にマクベス夫妻以外のあらゆる役を演じた三人(高田恵篤、福士恵二、小林桂太)、一体何者ですか?(笑)



魔女の役も国王の役も黒子役も、本当に全てこの3人がほとんど衣装も変えずに演じ分けるのだけど、その身のこなしと変わり身の早さ…(驚)


猫のようにすばやくしなやか。(結構年齢もいってるおっちゃんたちなのに…)


マクベスが殺したバンクォーの亡霊が椅子に座っているシーンのあの何かが獲り憑いているかのような奇怪な痙攣。(本当の幽霊みたいで背筋がぞくっとした)


魔女たちが呼び出した幻影が登場したときの雷にうたれてのたうちまわってる獣のような動き。不気味すぎて怖かった…。


自由自在に自らの身体を操っている3人のパフォーマーには恐れ入った。


マクベス夫妻役の秋山奈津子さんも、初めて観たんだけど良かった。

とにかく声が良い。「~なさい」という言い方が非常に凛としててツボ(笑)

夢遊病者になってしまって、自分の手が血に汚れている妄想をしているときでも、夢の中で狂ったまま凛としてるのが逆に哀れさをかもし出していて…。

(国盗人の白石さんにも度肝を抜かれたが、舞台にはいい俳優さん女優さんがたくさんいるのね…)


そして萬斎さん。

妻にそそのかされて国王を殺し、破滅の道に進んでいくマクベスを演じていたのだけど…。

どの舞台を観てもそう思うのだけど、萬斎さんの演技には何を演じてもどこか人間臭さがない。


それは演技が下手とかそういうことではなく…。


例えばテレビに出てるような役者さんだったら、まず感情があって言葉がある。

だから観てる方もその感情に寄り添って、登場人物と同様に喜怒哀楽を感じる。


だけど萬斎さんの本業、狂言は違う。

感情があって台詞があるのではない。


まず決められた台詞と動作の様式があり、その型に則って演じるのだ。

だから泣く場面でも本当に泣くことはなく、狂言の決まった「泣く」という動作をし、笑うときも心から笑うのではなく、決められた「笑う」仕草をするのだ。


萬斎さんは、狂言師が演じるということは、感情を沸き立たせて演技するのではなく、様式に強弱をつけて力を吹き込むような感覚だと言っていた。

自分が演じる対象になりきるのではなく、自分の身体をよりまし(漢字が出てこない…憑依でいいんだっけか)として提供するような感じなのだろうか。


マクベスもそんな感じだった。


恐怖に身を震わせているときも、破滅を嘆いているときも、萬斎さん自身がそれになりきっているわけではなく、自分の身体を提供し、「マクベス」という役を吹き込んでいる感じ。


だからどこか芝居全体に現実味がない。

薄い膜の向こうの世界の出来事を見せられ、終了後はふっと夢から覚めて現実に戻るように、「今の時間はなんだったんだろ…」って気分にさせられる。


また演出が幻想的なんだコレが…。

萬斎さん、絶対確信犯(笑)


国盗人のときも今回も、ずっと前の「敦」のときもそうだったけど、最初と最後は美しく、あっけなくおわる。

漂うのは「無常観」。


国盗人の最初と最後の台詞は平家物語の「諸行無常の鐘の声 つわものどもが夢のあと」だったし、今回も、殺されてばらばらになったマクベスの死体をどかすと、そこに野の花が咲いているという設定。


劇の間、これでもかと濃く人間の悲劇性、喜劇性を見せて、終わるときは今までの物語をふっと過去のものにしてしまう演出。


人間の愚かさも栄光もすべては時の流れと共に消え去っていくはかないものに過ぎないというのが萬斎さんの表現したい一貫したテーマなのかなと思わされる。


帰りに、記念に「新訳 マクベス」を買った。

萬斎さんの舞台のために書き下ろされた訳。


帰りの電車で読んでいたけど、シェークスピアに萬斎さんがこだわるの分かる気がする…。


シェークスピアと狂言ってちょっと似てるかも。


まず言葉がとても大事な役割を果たしていること。

単に感情を表すツールではなく、むしろ言葉の言い回しそのものがメインであるかのような。


そしてシェークスピア作品が小説ではなく「戯曲」であること。

小説だったら「だれだれはその時こう思った」だのなんだの登場人物の心情が語られるものだけど、戯曲はそういった心情描写がなく、全て台詞。


感情に寄り添う演劇ではなく、決められた様式に則り、大部分を観るものの創造力に委ねる狂言と通ずるものがある。


狂言師としての技術を駆使してシェークスピアを表現したいと思うのは当然かもしれない。


面白かった、「マクベス」!!!


ただ一つ不完全燃焼なのは…仕方ないんだけど今回は完全にシリアスな悲劇で、萬斎さんも狂言師としての部分はほとんど出されなかったたので、国盗人でサービス(?)してくれたような謡が聞けなかったこと…。


萬斎さんの美声でつむがれる台詞を聞いてると、やっぱりその声の良さを充分に堪能できる謡が聴きたい!!と思ってしまうにひひ


次は能楽堂に萬斎さんの本業、狂言を観にいこう音譜