プルシェンコとヤグディン。宿命のライバル物語その2。
ヤグディンの自伝は日本で発売されているが、プルシェンコの自伝は残念ながら日本では発売していない。
ずっと読みたかったプル側の物語。
今日、全部ではないけれど、一部訳してあるサイトを見つけた。(ありがたやネット時代…)
一番興味深い記述だったのが、「ヤグディンが引退して、絶えず後ろから襟首に吹きかけられていた息が消えた」というもの。
ライバルを表すのにこんなに適した表現があるだろうか。
常にトップを走っているのに、すぐ後ろにぴたりとライバルがつけていて、首筋に絶えずライバルの吐息を感じている恐怖。
ライバルを引き離そうと躍起になって走れば走るほど、ライバルも決して離れはしない。
そうして二人で何年も走り続けた結果、気づけば二人だけで遠くに来てしまった。
ある記事は「この二台の馬車はどちらか一方が倒れるまで走り続けるだろう。それ以外はただの野次馬に過ぎない」と評したほど。
その通り、ソルトレイクで最後の死闘を終え、ヤグディンが倒れたあと、一人誰もたどり着けない境地で残されたプルシェンコの孤独はいかばかりであっただろうか。
二人の自伝を読むと、ライバルとは不思議なものだと思う。
コーチのミーシンを取り合ったことに端を発する二人の敵対意識。
ヤグディンは自伝で、「ミーシンは僕よりエフゲニー(プルの名前)を可愛がった」「僕とエフゲニーの関係には歪みがあった」とはっきり記述しているし、プルシェンコは「同じリンクで練習しているころから、リョーシャ(ヤグの愛称)が僕を強力なライバルとみなしていることは肌で感じていた」と証言している。
(三歳の年の差もあいまってヤグディンはプルシェンコに「田舎に帰れ!」と言ったり、サッカーのとき後ろから足を蹴ったりなどしたそうだ…ヤグよ…)
ミーシンに対する記述も、ヤグディンは独裁的で傲慢なコーチという書き方をしているのに対し、プルシェンコはミーシンを想って、ヤグディンが“僕を育てたのはタチアナ”と証言していることに不快感を示している。
ヤグディンが始めてヨーロッパ選手権で優勝したときも世界選手権で優勝したときもコーチはミーシンだった、リョーシャの技術はミーシンが教えたものだ。
その後どんないざこざがあったとすれ、恩を認めないなんて男らしくない、と自伝に書いている。
(ただしこれについてはどうかと思う…。
確かにミーシンの元にいたときからヤグディンのジャンプは素晴らしかったけれど、あのままミーシンのもとにいたら、恐らくヤグディンは単なる強豪選手の一人で終わっていたと思う。
ヤグディンが帝王と言われ、今でもフィギュア史上最強のスケーターと称えられるのは、まぎれもなくタチアナについてから開花した傑出した芸術性のお陰だと思う。)
このようにお互い決していい感情は持っていなかったのに、ヤグディンの自伝にはプルシェンコの名前が多発している。見開き2ページに1回は出てくるんじゃないかという頻度。
「エフゲニーは…」「エフゲニーが…」ヤグディンがミーシンとの確執を超えて純粋に好敵手としてプルシェンコだけを意識していたことが明々白々。
プルシェンコの調子の悪かった試合を観たときの記述では「彼は一体どうしたのだろう。具合でも悪かったのだろうか」とまで述べている。
プルシェンコの不調を記者に聞かれ、「僕らはお互いが出ていない試合では調子が悪くなるのだ」と、庇うような発言までしている。
そして同じくプルシェンコの自伝にも「ヤグディンがリンクに出たら、僕も出なければならない。もしヤグディンがジャンプを降りたら、僕はコンビネーションジャンプを降りる。ヤグディンが ステップを踏んだら、僕もステップをはじめる。僕達は緊張の火花を散らしあっ た。」との記述がある。
天才は天才を知る。二人ともお互いしか見ていなかった。
他の選手より遥かに高次元での才能を持つ天才二人が全く同時期に存在してしまった(しかも同じ国、同じコーチのもと)のは、二人にとって幸福だったのか不幸だったのか。
プルシェンコはそうして切磋琢磨しあった結果、「僕達はすべての試合で勝った。僕か、彼が。僕達はお互いに“痛め”つけあった。試合で最も大事なことは、ジャンプを転けないことでも、あいまいにしないことでもなく、クリーンに跳ぶことだった。その結果、よりクリーンにジャンプを跳び、ミスなしにプログラムを演じた方が勝った。」と述べているが、一方で、「もしお互いがいなければ、僕らの人生はもっと簡単だっただろう」とも述べている。
この二人、現役当時はライバル関係をマスコミに面白おかしく書きたてられたし、お互い決して好意は抱いていなかったようだけれど、心中でお互いを最高の選手として認めていた発言がある。
プルシェンコ
「リョーシャは本当の闘志だ。彼は絶対に最後までやりとげる。僕はそこが好きだ。」
(ヤグディン引退後)「彼がいなくなって正直寂しいです。彼との戦いが懐かしい」
(最大のライバルは?と聞かれ)「勿論アレクセイヤグディンただ一人です」
ヤグディン
(トリノ五輪の二年前)「怪我をしなければ、優勝はプルシェンコだろう」
「もし世界選手権にジェーニャ(プルシェンコの愛称)が出るなら、彼は確実にロシアの枠を増やしてくれる」
「僕とエフゲニーが最高の演技をしたとき、それはどっちが優れてるかではない。リンゴが好きか、オレンジが好きかの問題だ」
連覇がかかった欧州選手権前、ヤグディンは、「自分はジェーニャに負けるんじゃないかと不安になった。それはチャンピオンとして考えることではなかった。」
そして不安は的中し、プルシェンコに負けた。
ソルトレイクの前、プルシェンコは、「ふと、勝つのはリョーシャではないかと思った。それは考えてはいけないことだった。今思えばきっとあの時金メダルを獲りたい気持ちがより強かったのはリョーシャだった。」
そしてショートでミスをおかし、ヤグディンに負けた。
才能は拮抗している、準備も環境も万全に整えている。それでも最後に勝つのは自分の気持ちに生じる不安に打ち勝ったほう。勝利への気迫のタッチの差だった。
ここまで選手としてお互いの才能と力を競えるライバルがいたことは、やっぱり幸福なことだったのではないだろうか。二人にとっても、フィギュア界にとっても。
二人が火花を散らして遥か高みへ駆け上がっていった時代、男子フィギュアの技術力は格段に飛躍を遂げた。
きっと二人とも、渦中にいるときは意識していなかったかもしれないけれど。
それがヤグディンが引退し、四年後悲願の金メダルを手にしたあとプルシェンコが休業に入ったあとの男子フィギュア界はどうだ。
クワド(四回転)は1回ですら困難なものになり(ヤグプル時代はショートで1回、フリーで2回取り入れてもどちらが勝つか分からないような時代だった)、クワドどころかトリプルアクセル2回ですら怪しい選手が「フィギュアはトータルパッケージだから、必ずしもクワドは必要ない」と堂々と言い放つ始末。
(ソルトレイクのヤグの演技を“今の僕らがやってることほど難しくない”とまでいいやがった…しかもロステレコム杯でのプルの演技まで“つなぎがスカスカ”と笑う始末。27歳になってショートから4-3とんでから言いやがれっ)
今季のプルシェンコの復帰には、こうした男子フィギュアの技術力の停滞に対する憤りもあっただろう。
文字通り満身創痍の死闘を繰り返して底上げしてきた技術が簡単に停滞(どころか低迷)したのだから。
欧州選手権の記者会見で、「過去二回、クワドなしの世界王者が誕生した。考えられないことだ」と、いつになく多弁に発言したプルシェンコ。
ジュベが同じ発言をしたときは四回転論争を巻き起こしたが(笑)、プルがいうと誰も批判できない。
3シーズン休んで復帰しても、現役の誰も彼に勝てなかったのだから。
バンクーバーで観るがいい。
帰って来た氷帝の姿を。
男子フィギュアの歴史を数世代にわたって勝ち抜いてきた王者の姿を。
余談ですが…。ソルトレイクのときより好きなヤグディンのプログラム。
彼ほど悲哀を感じさせる闘士はいない。まるで滑るごとに命を燃やしているようにみえる。
世が世なら名戦士だっただろうな。
革命のエチュード
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3933738
グラディエーター
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3933964
一方プルの一番好きなプログラム
芸術の極地。この世のものではないような美しさ。
「神の道化」と自称したニジンスキーの狂気を完璧に表現している。
ニジンスキー
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8416555
トリノ五輪SPトスカ
4-3めずらしくよろけているけど、蒼白な顔色が金メダルへの悲願を表している
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7188765
大好きなヤグプル動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1601571
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8941258