今夜は久しぶりに渡辺茂夫を聴いている。

幼少からヴァイオリンの天才少年と騒がれた彼は、14歳でジュリアードに留学したものの、そこで精神を病んで服毒自殺をはかり、一命はとりとめたが精神は完全に破壊され、まだ16歳の若さで二度とヴァイオリンをひくことができなくなった。帰ってきてからは長く父親のもと療養生活をおくっていたが、数年前に確かまだ50代の若さで亡くなった。

実家にいたころ彼の特集をテレビでみた。そのころはまだ生きていて、そのとき現在の様子がうつされていたが、お風呂で年老いた父親に髪を洗ってもらいながら鏡にうつった自分の顔をみて喜ぶ中年男性の姿があった。子供のように無邪気な笑顔だった。意味のある言葉は発せない。

彼がまだ精神を病む前の、日本での演奏を収めたCDがある。

ヴァイオリンなんかぜんぜん詳しくない私でも、超絶技巧が駆使されているのはわかる。

でもそれ以上に澄み切った音色の美しさが胸をうつ。

ショパンのノクターン、自身で作曲した「星空~アンダンテ~」。彼の経歴をしっているせいか、宇宙の中でひっそりと呼吸をしながら音楽に魂を浸らせている少年の姿が見えるような気がして、胸を締め付けられるような孤独感を味わう。

ヴァイオリニストとしても作曲家としても何十年に一人の逸材にちがいないと世界の巨匠から絶賛された渡辺茂夫。

私がみたドキュメンタリーで、コメンテーターが「もし彼があのまま精神をやむことなくヴァイオリンを続けていたら今頃どれだけすばらしい音楽家になっていたかと思うと残念でたまらない」と言っていた。

確かに、もっといろいろな曲を渡辺茂夫の演奏で聴いてみたかった。

でも彼の芸術は既に15歳で完成していたのだとも思う。

彼の人生の悲劇性が、彼の音楽に最高の彩りを添えた、といっては怒られるかもしれないけれど、その悲劇性によって彼の芸術は完成されたのではないかと思ってしまう。

時折、夜に渡辺茂夫を聴く。

日常を離れて静かに自分の心と対峙できる。知らぬ間に心に疲れがたまっていたり、逆に大切なことを得ているのにそうと認識していなかったり、そういうのをゆっくりと時間をかけて整理できる。

渡辺茂夫はわたしたちにそういう音楽を残すために、十数年間だけ時を許された特別な人だった気がしてならない。