私は寝汚い。

私が寝汚さは乳児時代にまでさかのぼる。
母親曰く夜は夜泣きもせずねっぱなし、昼間は母がふと気づくと一人で布団までハイハイして寝ていたというのだから恐ろしい。

小学校時代はうちに泥棒が入ったことがあり(何もとられなかった)、家中大騒ぎになったのだけど、そのときすら目を覚まさずのん気に地震が起きてる夢を見ていた。

中学高校もテスト期間でも10時には寝ていた。
大学時代風邪をひいて医者にかかったとき、「何時間寝てるの?」ときかれ、「9時間です」と答えたら「普通そんなに寝てたら風邪なんかひかないけどねぇ」と屈辱的なイヤミを言われたこともある。

それが社会人になって物理的に満足いく睡眠時間がとれなくなった。
お陰で土日は時間が許す限り寝っぱなし。

とうとう姉には「オイ寝太郎」と呼ばれる始末。

しかし私は本当は朝が好きなのだ。
起きれないけど朝が好きなのだ。
起きたいのだ。起きたい!!朝に勝ちたい!!

というわけで、今日は神田に「赤毛のアン」展をみにいった帰りに、谷川俊太郎の「あさ」という本を買ってきた。

朝にまつわるたくさんの素敵な詩を読めば、きっと起きたくなるだろう。

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誰よりも早く 目を覚ますのはそら
お日様の手が触れると 夜は恥ずかしがってあかくなる

夢の国へ帰っていく 夢の子供たち

みんなまっている いきをひそめて

地球がまわっている ゆっくりとてもしずかに

はじめてのおはようの前のかすかな物音

あんなに遠いのにこんなに近いお日様

ひかりがそっと入ってくる 夢で迷子になった心の中へ

まぶしい まぶしい まぶしい きょう
はじめての きょう

だれのものでもない宝石がいっぱい

はっぱもくきも ねっこまで笑ってる
光にくすぐられて

もう鳥たちは起きている
ありも起きている 多分もぐらも

終わってしまうものは一つもない
すべてがはじまり

くさのかおり かぜのかおり いのちのかおり

おはよううみ おはようそら

おはようきょう

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カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴っている

それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ

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いれたてのコーヒーの香りが
どんな聖賢の言葉にもまして
私たちをはげましてくれる朝

遠い朝露にはじまる水は蛇口からほとばしり
新しいタオルは幼い日の母の肌ざわり

インクのにおう新聞の見出しに
変わらぬ人間のむごさを読み取るとしても

朝はいま一行の詩

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百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
当たり前なところのようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ

今朝一滴の水のすみきった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える

魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい

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朝目が覚めたらいちばんに何をする?
ぼくはカーテンをあける
おひさまがさしこむと、きもちがいい。

でもくもっていても、雨がふっていても
文句はいわないようにしてる。
だって、夜があけて、朝がくるっていうのは、
当たり前のようでいて、実は、すごくすてきなことだから

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夜の心のくらやみから
夢はわいてくる

さめても夢は消えはしない
そしてお早うの朝はくる

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明日は頑張って、早起きしよう。
カーテンをあけて、おひさまに「おはよう」というゆとりある朝を迎えられるように。

明日は晴れるかなぁ。


(※以前書いた記事を転載したものです)