ときどき発作のようにやってしまう通販の衝動買い。

最近買ったのは、やなせたかしの詩集を二冊。「あれはだれの歌」と「わすれないで」。

「あれはだれの歌」の方は有名な「手のひらを太陽に」をはじめとする詩が何編かと、心温まる台詞のない4コマ漫画や絵、短い物語が収められている。

「わすれないで」の方は、届いてから気づいたのだけど、やなせたかし本人の詩集ではなくて、実際の子供たちの詩からやなせたかしが選んだものを載せた本だった。

忙しかったのもあって、届いてから中身をちゃんと読まずに放置していたのだけど、この週末にやっと読めた。

数ある詩集の中から「わすれないで」を選んだのは、「こどもとこどもの心をもつ大人のための詩集」というキャッチコピーに惹かれたから。

やなせたかしは、「前書き」で述べている。

「子供の詩と一緒にぼくの詩を並べれば、ぼくが負けるのははじめからわかっています。
でもぼくはずっとそうしてきました。
“詩の指導なんかしてはいけない。一緒になって遊ぶだけでいい”
それがぼくの方針だったのです。
この詩の子供たちは今ではもう立派な若者に成長しているでしょう。
でも私はいいたいのです。この詩をかいた頃の心を“忘れないで!”
だからこの本のタイトルは“忘れないで!”にしました」

やなせたかし本人の詩集じゃないのか…とちょっぴりがっかりして期待薄く読み始めた「わすれないで」だけど、読むうちにどんどん引き込まれていった。

今だったら簡単に見過ごしてしまうだろう、幼い頃の「なぜ?」や、友達や家族のことが、生き生きと素直な言葉で紡がれている。

大人になると、新しいものに出会ったときに、自分に必要か必要でないのか、自分にとって重要なことかささいなことか、無意識に判断して取捨選択しているような気がする。
だけど分別のない子供のときは、必要じゃないことも必要に思えて、ささいなこともささいじゃなくて、全部を丸ごと心一杯に受け止めていた。

いつの間に、そうじゃなくなったんだろう。

この詩集を読んで、思い出した、子供の頃の心。

子供たちの詩

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「ばら」

なぜ ばらになったの きかせて
なぜ ばらになったの おしえて
なぜ いきているのに
しゃべらないの
しんでるの。

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「おけいこ」

ぼく 英語ならうの いやだよ
ぼくね 
動物語か 虫語だったら
ならいに行きたい

だって ぼく
動物や虫と お話ししたいんだもの

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やなせたかしの詩

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「えらくなっちゃいけない」

星のいのちにくらべれば
ぼくたちみんなちっぽけな
ほんのはかないいきものさ
お金もちでもえらくない
えらいひとでもえらくない
みんなだれでもえらくない
えらくなっちゃいけない
みっともない

ひとときだけのこのいのち
きずつきやすいこころなら
ふゆかいなことしたくない
ひげはやしてもえらくない
いばっているひとえらくない
みんなだれもえらくない
えらくなっちゃいけない
みっともない

ちいさなちいさなゾウリムシ
めにもみえないプランクトン
それらもみんな仲間たち
名もないひとのその中で
名もないひとでくらしたい
みんなだれでもえらくない
えらくなっちゃいけない
みっともない

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うまれたときは

ひとりだったし

死ぬときも

ひとりだもの

いまひとりだって

さびしくない

いや

ちょっとさびしい

なぜだろう

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忙しい日々の合間に、心をまっさらにリセットするために、
そっと絵本のページを開くのはいいかもしれない。