目覚めるときに聴きたい曲。ジョン・ラッターの「美しい大地よ」。セントポール大聖堂少年聖歌隊が歌ってるやつがいい。
賛美歌なので、歌詞の意味は「主への愛」みたいな感じなのだけど、そんな知識全くなく聴くと、思いっきり自然への賛美って感じ。前奏のフルートの「タラララ」と繰り返し上から下へ降りてくる音は、絶え間なく降り注ぐ木漏れ日の様であり、小鳥のさえずりのようでもある。
ウィーン少年合唱団をはじめとする世界の主要な少年合唱団は、たいてい聖歌隊のため、本業は賛美歌を歌うこと。
(ウィーン少年合唱団が“天使の歌声”と称されるのは、本拠地の教会で歌うとき、上の階で歌っているため、下の階にいる参列者には姿は見えず、声だけが頭上から降ってくるからだと聞いたことがある)
少年合唱団の歌う賛美歌は確かに素晴らしいけれど、私は自然の豊かさを歌う歌とか、各国の民謡とかを歌ってるのを聴くのが好き。(賛美歌に詳しくないってのもあるけど)
例えばヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」。歌詞の意味は
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これほどまでに愛しく、
優しく快い木陰はあっただろうか。
ありがとう。私にとってお前は大空。
これ以上素晴らしいところは他にないのだから。
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この爽やかな歌詞を少年の声で歌われると、本当に清々しい、心に青空が広がる気がする。
少年合唱団の声は、変声期前なので、女声に似ている。でも、女声にあるような艶というか、肉感的なものを全く感じさせないところが好きだ。
変声期を迎える前のひと時にだけ許される、何にも捉われない、まだ真っ白な、綺麗な心の存在の象徴であるかのような歌声。日々の生活に忙殺されがちな、対外的には十分“大人”と呼ばれる年齢になった私には憧れですらある。
中学時代に彼らの歌声に出会い、それから幾度となく聴いてきた。やすらぎたいとき、心を開放したいとき、孤独を感じるとき、眠る前、起きてからの目覚めに。
「皇帝円舞曲」「スカボロ・フェア」「レモンの花咲く頃」「南国のバラ」「マハラリィの華」「歌わずにはいられない」「オンブラ・マイ・フ」「エーデルワイス」「グリーンスリーブス」「流浪の民」「三人の童子の歌」「美しき青きドナウ」「紙飛行機」などなど…。どれも大好きな、大切な曲。
彼らの歌声は、いつも私の心を日常から解き放たってくれる。どこともしれない、永遠にとどまっていたい場所へ、私を連れ戻してくれる。
まだかろうじて、私はそこにいるだろうか。いつか必ず、多分そう遠くない将来、そこを出なくてはならないときがやってくるだろう。そしてきっと出るときは、自分がそこを出ようとしていることにすら気づかないような自分になってしまっているのだろう。
それでも、その後でも、少年合唱団の歌声を聴けば、きっといつでも彼らの歌声はその場所の香りを運んできてくれるのだろうと思う。
大学の寮生時代、退寮時、送別のメッセージに「一人暮らしになってもくれぐれも少年を拉致しないように」と、仲良しの寮生に書かれた私だけど、いくら危ない人に見えようとも、アイラブ少年合唱団!!(><)
日本のコンサートでじゃなくて、本場ウィーンの教会でウィーン少年合唱団を聴くことが私のひそかなる野望だったり…。
(※以前別の場所で書いた記事を転載したものです。)