救急車

 

令和2年6月6日土曜日、父が倒れ救急搬送。

 

この日から僕の人生は一変することとなった。

 

  父の体調が前兆なしで急変

この日、僕はバイトが休みで、午前中は自分の仕事であるサイト作成をしていた。

 

12時にお昼を食べたあと、少しのんびりと休憩。その後、洗濯物の乾燥が終わったのでリビングで畳む作業をはじめる。

 

ここまでは何も変わりはなかった。

 

父と母はならんで床に座り、僕が洗濯物を畳む姿をみながらニコニコ談笑をしている。

 

洗濯物を畳み終えると、僕は午前中の仕事の続きをするため2階にある自分の部屋へと向かった。

 

曇り空

 

14時30分くらいだっただろうか、突然母の「たかぶん、ちょっと来て!」と叫ぶ声が。

 

何事かと1階のリビングへ駆けつけると、母はややパニック気味。

 

「お父さん、なんかおかしくなっちゃって…どうしよう…」

 

仰向けに寝ている父は顔面が蒼白で目もうつろ。脈も弱く、とにかく血の気が感じられない。

 

「おーい、どうした?わかるかい?」と声をかけたが、「う、うーん…」と鈍い反応。

 

すぐさま僕は救急車を手配。救急搬送は初めてではなかったので、それほどあわてず冷静に電話することができた。

 

救急車を待っているあいだ、父の保険証やお薬手帳を用意する。ただ、父は自己管理しているためどこにしまってあるのかわからず、探すのに時間がかかってしまった。

 

「おとん、もうすぐ救急車が来るから大丈夫だよ。安心して!」と伝えると、「ああ…、急に気持ち悪くなってな…」と確かな反応。

 

泣きそうになっている母にも「安心して。大丈夫だから。俺にまかせて!」と声をかけて励ます。

 

ただ…、もちろんこれはハッタリで、内心 僕も不安でドキドキしていた。

 

  救急車で運ばれる父と僕

やがてサイレンの音が近づいてきたので、僕は外に出て大きく手を振り救急車を誘導した。

 

到着した救急隊員に状況を説明し、あとは対応をお任せする。

 

救急隊員とのやりとりでは父の意識もやや回復し、受け答えもしっかりできているようだった。

 

救急車には僕が同乗し、母を家に残すことに。母は認知症のためひとり留守番は心配なので、出かけている兄(とお嫁さん)にすぐ帰るよう電話をした。

 

僕が車内に乗り込むとき、家の近くには大勢の人だかりができていた。まあ、近所に救急車が来ればそりゃ気になるよね。。。

 

救急車の中でも父の受け答えはわりとハッキリしていた。隊員さんの質問にもちゃんと答えている。しかし、血圧がなかなか上がらない。

 

救急車の車内

 

ところで、救急車というのは意外とすぐに出発しないものだ。素人考えだと「はやく病院へ行ってよ!」とヤキモキしてしまう。

 

おそらく搬送先の病院を探したりとかいろいろ事情があるのだろう。

 

乗り込んでから10分ほど経ったところでようやく出発。

 

道中、隊員さんが僕に「帰りはお兄さんに迎えに来てもらうでしょ?そのときにお父さんの靴を持ってきてもらってね。じゃないとお父さん、歩けなくて帰れないから」とおっしゃった。

 

たしかに裸足では外を歩けないもんね。

 

こんな会話からも僕は「どうせちょっとした貧血かなにかだろうし、今夜にはケロッと帰れるんだろうな」と思っていた。

 

数年前、母が低血糖を起こしたときも点滴を打ってその日のうちに帰ってこれたからだ。

 

しかし、そんな僕の期待はみごとに打ち砕かれることとなる。

 

状況はもっともっと深刻だったのだ・・・。

 

  大動脈解離

搬送先の病院に到着。受付を済ませた僕は、廊下にある椅子で待つこととなった。

 

特にすることもないので、午前中に作っていたサイトのアイデアをいろいろ考えていると、僕のもとに女性のドクターがやってきた。

 

「息子さんですよね?お父さん、かなり深刻な状況です」

 

・・・は?

 

大動脈解離といって、心臓から出ている太い血管が裂けています。このまま何もしなければ助かりませんし、手術は一刻を争います。ただ、うちの病院では手術ができないので他の総合病院へ行っていただかないと…」

 

ということで再び救急車に乗り、近くの総合病院へ向かうこととなった。

 

  大動脈解離の手術はリスクが伴う

大動脈解離

 

大動脈解離

 

総合病院へ着くと僕は別室にとおされた。手術に関するいろんな説明を聞くためだ。

  • 今回の緊急手術はかなり大がかりなものであること
  • 手術をすることで生命にかかわる不測の事態がおこる可能性があること(危険率は約20%
  • 手術がうまくいっても後遺症が発生する可能性もあること

まあ、簡単に言えばリスクがともなう手術ということである。しかしやらなければ助からないので断る理由はない。

 

「先生、お願いします」

 

こうして8時間におよぶ大手術が始まった。

 

  手術は無事終了

手術中

 

誰もいない薄暗いロビーで僕は待つことになった。時折、看護師さんが目の前を通り過ぎるが、土曜日の夕方ということもあってロビーは静まり返っていた。

 

そういえばドラマでよくある光景に似ているな。「手術中」というランプが灯り、男は薄暗いロビーの椅子に座って妻の手術が終わるのをひたすら待つ、みたいな。

 

こんなことを考えながら、そういえば兄に連絡をしていないことに気づく。

 

急いで携帯電話使用可能エリアまで行きスマホを見ると、なんと充電が切れかかっていた(泣)あわてて家を出たから充電器を持ってこなかったのだ。

 

いろいろと話が長くなりそうだったので、しかたなく1階の公衆電話を使うことに。何十年ぶりだろう、公衆電話を使うのなんて。

 

兄に事の経緯を説明。手術は8時間くらいかかるので朝にタクシーで帰ることを伝えると、「俺もそっちへ行くよ」とのこと。

 

2時間後くらいに兄がやってきて合流。父に関する話をあらかたしてしまった後は、とにかくひたすら待つ、待つ、待つ。

 

途中、看護師さんから入院の説明があった以外は、これといって出来事は何もなかった。

 

深夜3時

 

夜中の3時ころ、手術は無事終了。ICUに案内されて父に会いに行く。

 

人工呼吸器をはじめいろんな管やらコード?やらを体中につけた父は当然眠っていて会話はできない。

 

父のそばに立つ僕と兄に、ドクターが手術の説明をしてくれた。簡単に言えば、大動脈の一部を人工血管に置き換えたのである。

 

ひとまず山は越えたわけだ。

 

  兄と一緒に帰宅

家に帰ったのは明け方の4時ころで、車を止めるやいなや母が勢いよく玄関から飛び出してきた。

 

「まったくどこに行っていただね。お父さんも誰もいないから困っちゃって…」

 

認知症の母は、おとんが救急搬送されたことはすっかり忘れていて、精神的にもやや不穏ぎみ。兄貴のお嫁さん、ずっと家にいたはずなんだけど(汗)

 

兄貴はどんどんと自分の部屋へ行ってしまったため、僕はリビングで母とともに過ごす。

 

「一人にしてごめんっけね。俺もいろいろ大変だったんよ」

 

父のことをあまり詳しく話してもよけいに母を不安にさせてしまうので、サラッと簡単に説明した。

 

「そんなに心配いらないよ。ちょっと体調崩しただけだからさ。もう俺が帰ってきたから安心して☆」

 

カッコつけてそんなことを言ってしまったが、夜が明けた今日はなんとバイトの日だった(汗)

 

父の入院期間は1か月。これからどうなるんだろうと不安になりながら、僕は出勤の支度をするべくシャワーを浴びた。

 

【追記】

3か月後、父は再び緊急手術をすることに

父親が再入院&緊急手術~ショック死していてもおかしくない状況だった

 


(注)この記事は私の別サイトから移行した過去記事になります。また作成時は、あとから記憶をたどりながら書いていました。