さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」より。

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「虎ノ門ニュース」(平成301219日)で「大東亜戦争偉大なる記憶」として、戦時中、「死んでも帰れぬニューギニア」と言われたニューギニアで戦われた堀江正夫さん(103歳)を取り上げていた。

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ニューギニア戦線での壮絶な戦いは上の動画で語られているが、ここでは103歳の堀江さんが今の日本人に伝えておきたい部分を取り上げる。

堀江正夫さん:

ニューギニアは原住民がよくやってくれた。今でも遺骨収集で協力してくれていますが、戦争中も日本軍の病人を自分の家に収容して、亡くなるまで面倒見てくれた。

戦後、昭和48年にニューギニアに遺骨収集に行ったんです。その時、当時、軍司令部で少年か青年くらいの原住民の男が一生懸命働いてくれていたが、遺骨収集の時にたまたま会って、お互いに抱き合ってね。

僕は、戦争中から比べるとオーストラリア統治のお陰で発展してよかったな、と言った。そしたら彼は「それは違う」と言う。「オーストラリアはフレンドだ。しかし日本はブラザー(兄弟)だ」と言った。「それは、戦争中に日本人は我々と一緒に同じものを食べてくれたじゃないか。一緒にゴロ寝したじゃないか。日本人は我々を人間として扱ってくれた」と言った。・・・

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ここで井上和彦氏は言った。

「これが真実なんです」と。つまり日本は侵略なんかしていない。

そして井上氏は堀江さんにこう訊いた。

「堀江さんの部下、戦友、同期生、多くの方が散華されて、今もし、声をかけるとすると、どんなお声をかけられますか?」と言うと、堀江さんはすかさず「申し訳ない」と言った。

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堀江正夫さん:

今の日本の状況、靖國神社に関する問題、本当に申し訳ない。遺骨の問題もそうです。もっとちゃんとしなきゃいけない、国民として。

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ですから、この歳になっても厚労省に行ったり、新しい遺骨収集の法律を作るために、一生懸命に駆けずり回ったり。何とかして、ご遺骨もね、早く、一体でも多く持って帰って頂きたい。

今でも目を瞑ると、亡くなった戦友の姿が次々と浮かんで参りましてね。

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だから僕が息を引き取るまでには解決の道筋をつけてから死にたい。そうせんと、戦友や先に逝った先輩に対しても報告することが出来ない、顔向けが出来ない。

そう思ってやっていますが、まぁ今の状況を見ますとね、諦めざるを得ないのかなぁ、と・・・。

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若い人達には日本人だという自覚を持って、我々の国を守るのは我々なんだ、いざとなったら、みんなが、我々が、力を尽くしてこの国を、この国の伝統を、我が兄弟や、親族を、肉親を、守らなきゃならんのだ。

ただ、最近は私が接する範囲において、若い人達が、戦争、遺骨の問題、その他に非常に関心を持って活躍してくれてる人が増えている。大変に嬉しく思っております。

何とか、それが国民全部の気持ちになってほしいな、というのが、最後の、死ぬ前に当たっての私の切なる願いです。・・・

これこそ英霊達を代表する言葉であると思う。

お国のために命を捧げた方々のことを我々日本人は忘れてはいけない。嘘の歴史はもういらない。先人達の真実を知り、真実を語り継いでいかなければいけない。

堀江さんは日本の若い人達が戦争の真実や遺骨の問題に関心を示し、活躍してくれていることを嬉しく思っているという。

それが国中に広まってほしいと願っている。これが英霊達の声である。

それと同時に、今の日本の状況を見て「諦めざるを得ない」と言った。

これは靖國参拝や今も戦地に残る遺骨である。憲法、軍隊、教育勅語を取り戻すことである。

これは国の問題である。政治の覚悟の問題である。日本の政治家は堀江さんの言葉を英霊の声として、命に代えても何とかせねばいけない。

それが日本の政治家としての最低限の務めである。


引用おわり。

今の若者の方が、しっかりしています。
真実は自分で調べようと思わなければ、見えてきません。

それは、知られたくないという証拠でもあります。
どうぞご自分の目で探して、見て、ください。
テレビ、新聞から真実は見えてきません。