続き。

看護師さん来て「心拍が!」とだけ伝えた後は、
なんっっにもできなかった。

とにかく動かしたらあかん気がして、
何もしてあげられなかった。

手だけ握っていた。

バタバタと看護師さん、医師が入ってきて
来る人来る人に、助けて下さい、と叫んでいた。

何もできなくて、そんな状況でも、
きっと助かる!って思ってた。

なのに、涙が溢れて溢れて、ただ泣いてるだけだった。

旦那にだけは電話した。

状況を説明したら、旦那もびっくりして、
とにかく今からそっち行くから!と言ってくれたけど
旦那は埼玉。私らは大阪。

気づいたら蘇生をするかどうか?という話になっていて
私が即答で「して下さい!」と言ったのに

え?蘇生するの?カルテにはしないって書いてあるけど…
みたいな話になっていた。

全く状況が飲み込めなかったけど、
出産前に聞かれた、「延命はしない」の選択が、
まだ有効だったことに気づいた。

そんな話を医師と看護師だけで
もたもたとしてるのでイライラして
「あの時はそう言ったけどまさか検査入院で
こんなことになるなんて思わないじゃないですか!
助けて下さい!お願いします!」と叫んでいた。

神経科の医師しかいなかったので
新生児科の医師を呼んでもらった。

心マと人口呼吸開始。

マスクが合うのが全然なくて、
その場にある最小のものでも
はるねの顔全部を覆ってしまっていて
顔が見えなかった。

再度挿管の説明を受けた。

助かる可能性は低い、助かっても恐らく、離脱も退院も在宅も厳しい。と言われた。

この、18トリソミーの症例がかなり多い病院で
それを言われるとは思わなかった。

私1人では決められなかった。

旦那に電話して、再度医師から説明してもらった。

旦那はかなり食い下がってたけど、
可能性はかなり低いようだった。

旦那から連絡を受けて、母と弟が来てくれた。

母と何度も何度も、はるねの名前を呼んだ。

触っていい部分はたくさんさすった。


新生児科の主治医が駆けつけてくれた。

もう帰りかけていたところで連絡がいったらしい。

主治医もかなり驚いたような顔をしていた。

他の医師から説明を聞いた後、心マをしてくれた。

一瞬心拍が戻った。

といっても40ぐらい。

そして心マをやめるとまたすぐ落ちていくようだった。

この状態だと、挿管と強心剤でも
助からないでしょう。と言われた。



本当は、段々そんな気がしてきていた。

あの穏やかな時間は、はるねが作ってくれた、
最後の2人の時間だったんだって。

私がはるねをじーっと見ているときに
さよならしようって決めたんだって。

心拍が一瞬戻って、また落ちたのも
挿管を迷っている私に
もう無理やから、頑張らせないで、って
教えてくれたのかなって。

旦那に再度電話して、主治医から再度説明してもらった。

私の気持ちを伝えて、2人で、
延命を止めてもらうように伝えた。

泣き崩れた。けど、これでいいんだと何故か思った。

ほとんどの機器が外された。

眠っているだけのようなはるね。

まだ暖かいはるね。

体の力が全部抜けていたけど、
元々、首もまだすわっていなかったし
いつもと何も変わらなかった。

でももう、心臓は動いていない。

呼吸もしていない。

声を聞くこともできない。

笑った顔も泣いた顔も、もうしない。

私と母と弟で、たくさんたくさん抱っこして
何度も何度も、お別れを言った。

ありがとうもごめんねも、何回も言った。

涙が溢れて溢れて止まらなかった。

さっきまでのパニックが嘘のように
静かな穏やかな時間が流れていた。

主治医がずっと見守っていてくれた。

最後に心音を聞いてくれた。

23:20、はるねは空へ旅立った。

8ヶ月と一週間の、短かくも輝かしい一生だった。

はるねらしい、潔い最期だった。



きっと、はるねは全部分かっていた。

だから、かーちゃんが付き添える日に入院した。

病院に行く前にばーちゃんに会った。

オムツを捨てに行くかーちゃんを呼び止めた。

はるねらしい。

賢くて強い子だった。




やっと、最期の日のことを書けました。

この後のことも、また書こうと思いますが
お別れの日のことは、ここまでです。

長い文章を読んで頂いてありがとうございました。