~ わたしの立場から・・・ ~ | てぃあの解体心書

てぃあの解体心書

~ 自らの人生哲学を語るブログです ~

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

患者として、被害当事者として裁判をしています。

そしてブログも書いていますが素通りされたりがほとんど^^

そして舞い降りてきた問題が精神医療にご家族を失った遺族の方との壁。

どうしても遺族と当人では捉え方が違うみたいで・・・。

わたしはこの苦境に他の誰かを招き入れたいとは思えなくなりました。

裁判をしていて悲しいかな、精神科の患者とその家族の温度差に苦しめられています・・・。

みな、訴えるとか発信するとか言うは簡単です。

でも、それをしてこの苦境に耐えられるかはまた別問題だと思いました。

東洋医先生。

お願いです。

患者を救ってあげてください。

その家族でなく患者さんを・・・。


わたしの切なる願いを失礼しました。

(ちょっと弱っていて愚痴半分になってしまいスミマセン)

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


わたしはこのようにコメントを残してみました。

超えなきゃいけない壁をそこに感じたから。

『サバイバー・フェニミズム』

サバイバー・フェミニズム/高橋 りりす

¥1,785
Amazon.co.jp

にもあったけど当事者とその支援者の壁が当事者を追い詰めていくのは確かだから。

そして精神医療被害の場合その被害に遭ったのが患者であれば

そこに書いてあるセクハラ被害者よりこころは弱っているはずで

その壁に対抗なんてできないまま、

結局何だか言いたいこと言えず、自分の中に気持ちを抑圧させたまま

裁判も被害の訴えも終わってしまうのではとも思えて。

世間で精神科にかかることによりはじかれ

精神科では精神医療を批判する側に立ちはじかれ

やっと得られた賛同者にたてつくようなことはなかなかしないし

また孤立、孤独が怖くてできないと思ってる。

でも

それを恐れたまま裁判をし、支援者にあわせ自分の裁判をしなかったら

わたしはわたしを捨てることとなり精神科で自傷、自殺しないようになっても

ここでこころの自傷と自殺をしてしまうと思えそれだけは避けたく

その壁にたてついている。



今の精神医療への問題定義の中、

患者さんが裁判を起こすことは症状の悪化をかなり心配しなければならない状態にあると思え

わたしはどうしても勧められない。


ただ

それらを覚悟して命かけて裁判する!!

っていう人に対しては

わたしは誰かが自殺すると言ったときと同じ対処をすると思う。



どうぞ。

本当にそれでいいのね。



って。




半ばヤケになっているのかもだけど

これはこれでわたしの今のIP(インナー・ペアレント)の働かない素直なの気持ちだと思うので

残しておきます。



気に障ったり納得いかない方は

『精神患者が何言ってるんだ』と聞き流してやってください。