そわそわしてきた感覚 | てぃあの解体心書

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~ 自らの人生哲学を語るブログです ~

日常の意識の下でそわそわとして出てきたがっている意識を感じ始めている。


ただしそれはいじめに遭っていた時に周囲から妬まれた行動や感覚だったり


両親にとって不都合な感覚やものの見方だったりで


一度封印してしまった意識や感覚だと思う。


いわゆる『おりこうさん』的な『良い子』的な。。。


(決して完全な『おりこうさん』や『良い子』ではなく《~的》な)


でもそれができなくなってしまっている自分が居る。


そう、周囲からの批判や反響が怖かったからだと思うけど。。。


良い行いをして周囲から偽善者扱いされたり


それは結局自分の為だけだろうとかの非難を浴びたりした経験は


その良い行いであろう行いをわたしの中に封印してしまった。


そしてちょっとでもおりこうさんだとか道徳的なことをして人から非難されるのを避け続け


逆に悪いこと、モラルの無いことを選択してきた気があると思う。


少し前の『アンダーグラウンドから愛を込めて』って言葉が浮かんだとき


そのアンダーグラウンドがわたしのこころの隠れ蓑に感じ


その頃からちょっと感じていた感覚。


アンダーグラウンドの下にあるなんだかそわそわしている感覚。


そこに素直になることができたらなと思う。


ある部分の人からは非難されたりそんなの結局は自分の為だろって言われそうな


そんな行動。


それがそわそわしている。


誹謗、中傷、やっかみ、などなどを過去受けてきたそれ。


そろそろそこの部分を開放してあげたいなって感じてきた。




偽善と呼ばれてきたその行為。


そして偽善と思ってきたその行為。


その行為の開放へカウントダウンをしていきたい。



カウントダウンをしてその行為を開放させたら


また大きく何かが変わっていくかも知れないし。




24時間テレビを見て吐き気を催していた一昨年。


24時間テレビを見てこんな世界もあるのかもなと感じた去年。




まっすぐが歪められ歪んだ自分を正しいとして生き延びてきた。


でもそろそろ歪みを矯正しまたもとの自分に戻りたい。


そんなとこかな。



何奇麗事言ってるんだって思われるかも知れないネ^^


でも、わたしはそうしたいんだ。


だからもし奇麗事って思うのだったらそれまでって思う。


だってわたしもそう思ってきたから。。。


だからわたしはそういう受け取り方もあるということを承知の上で


今あるそわそわ感を大切にしたいと思う。




奇麗事、偽善。


そうとれる人も居るしそういうのもあると思う。


でも本物のやさしさや暖かさもこの世にはあるはずと


わたしは信じたいから。





信じて裏切られたら既存のやさしさも暖かさも


全て奇麗事や偽善ととれるようになってしまったわたしの歪みからだな。。。