雑記 Ⅳ | てぃあの解体心書

てぃあの解体心書

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 より




村上先生は、遺伝子の研究を進めていくうちに、さらにすごいことに気づかれる。


すべての生き物は、みな、同じ遺伝子の暗号を使っているということがわかったのだ。


これまで地球上に存在したすべての生き物が同じ遺伝子の暗号を使っているというのは


“20世紀最大の発見です”と、村上先生はおっしゃる。




「私たちの肉体を構成する元素、水素、酸素、窒素、これはすべて地球の元素です。


その地球の元素はどこから来るかというと、宇宙から来ている。


だから、私たちのこのからだは宇宙からできているのです。


私たちのからだは全部宇宙からの借り物なのに


サムシング・グレートは無担保で貸してくれるんですよ。


借用書書けとか、レンタル料払えなんて言わないんですからね(笑)


だから、我々は死んだらお借りしたこのからだは、


全部、地球に、宇宙に返さなければいけないわけです」




「サムシング・グレートの愛は、ただただ与えるだけの無償の愛なのです。


私たちはみなこのサムシング・グレートに愛されている存在なんですよ。


なぜならすべての存在は、サムシング・グレートの子供なんですからね。


自分の生んだ子がかわいくないわけがありません」




生命あるものがすべて同じ遺伝子の暗号を使っているのみならず、


私たちのからだを構成している元素も他の生物の元素も、太陽も地球も、夜空に煌く数多の星も、


この宇宙におけるすべての物質は同じものからできているなんてなんという発見だろうか。 




このことを理解すると、私たち一人ひとりの存在は、本当に、


星のかけらでもあり、海の一滴でもあり、砂の一粒、1本の樹木、


空翔る一羽の鷲、一輪の花、ひとひらの雪でもあるということなのだ。


存在は、すべてであるものを含んでいる。部分は全体を現している。


“存在とは、すべてである”ということは、


私たちは、一人ひとりが宇宙そのものを体現しているということなのだ。




「日本の学会、アカデミズムの世界はほんとに保守的だから、


神さまのことなど言い出したら、“あいつもとうとう神頼みか(笑)”とばかにされるんです。


しかし、遺伝子の研究を進める中で、


こうして古来、神とか仏と人々がいってきた大自然の偉大なる力、


この宇宙の法則を創った大いなる存在のことを科学的に立証でき、


サムシング・グレートという言葉で語れるようになったことは大きな可能性が広がったと思います」




「私たちのからだを創ったのも、


すべての臓器を動かし続けて、生かし続けてくれているのもサムシング・グレート。


サムシング・グレートは、自分の中にもいるのですから、


みなさん、感性を研ぎ澄ませて自分の内側からくる情報に対してもっと耳を傾けて下さい。


内側には計り知れない、大いなる“いのちの知恵”があるのですから」




自分の中にいるサムシング・グレートとは、


古来、神、神性、仏性、真我大我と言われてきた人間の純粋なる意識の光なのだ。


神も仏も本当は自分の中にいるのだから、自分を寄る辺として生きていっていいのだ。




そういえば、お釈迦様も、


自らの光となりなさい。自分を寄る辺として生きなさい」という


“自灯明”の教えを残している。


人の最も奥深いところにある純粋意識(真我)に目覚めることが


今とても求められているのではないかと思う。




「物は人にあげると減るけれど、幸せは人にあげるとどんどん増えるんですよ。


人を幸せにする人は、自分が幸せになっていくんです。


みなさんの周りで幸せそうに生きている人はみんな愛を与えている人でしょう?


与えているという意識すらなく、その存在から愛が溢れている人でしょう?


幸せは分かち合えば合うほど、大きくなるからです」




私たちひとり一人がどれだけかけがえのない存在であるのか、


生まれるべくして生まれた存在であるのかをこうした科学の言葉で理解できることの素晴らしさ。


私たちはみなひとりぼっちの孤独な存在なんかじゃないのだ。


人はみな、慈愛に満ちたこの宇宙の大いなる源から生まれ、


すべての存在はその源につながって生かされているのだから。




このことを理解すると、人生は、意味のない経験の砂漠をただ彷徨うだけの時間でもなければ、


人生に起きてくる出来事が、


ただ無秩序に、無意味に起きてくるわけではないということが本当に納得できる。


そう思うと、一人ひとりの人生というのは、


なんという壮大ないのちのドラマ、魂の物語なのだろうか。




村上先生は現在チベット仏教の最高指導者、


ダライ・ラマ法王14世と「科学と宗教の統合」を目指して積極的に対話をされている。


ダライ・ラマ法王は愛とユーモアに溢れた人だそうで、


村上先生と一緒に肩を組んで写真を撮った時に、法王が村上先生の耳たぶをくすぐるので、


「これは何か重要な宗教的儀式なのですか?」と村上先生が尋ねたところ、


「ちょっとイタズラをしたくなっただけ」と言ってニコっと笑われたのだそうだ。


そして、村上先生に「僕たちはきっと前世で兄弟だったと思いますよ」と


ウインクしながらおっしゃられたのだという。











▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲ てぃあ的意見 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲




古来、神とか仏と人々がいってきた大自然の偉大なる力、


この宇宙の法則を創った大いなる存在のことを科学的に立証でき、


サムシング・グレートという言葉で語れるようになった。




でも精神に関る精神的な分野では


まだまだ非科学的と言ってサムシンググレートは語れないのかも知れない。






遅れてる。




馬鹿げてる。






医師も科学者の端くれならば




この存在を認め精神世界に活かして欲しいものだ・・・。