私は「天才」という自称にも他称にもあまり興味をそそられません。
天才が何人いたって、戦争一つ解決できないのです。

人間の愚かさの克服は、
天才程度の知能が何千人分あったところで解決できないのです。

なので私は、「天才」という言葉が踊ることも、
「天才」という言葉に踊ることも、とってもむなしく感じられます。

だけど「努力」という言葉は好きです。
ひとそれぞれの個性のままに伸びていこうとする力。
「努力」という言葉には、うぬぼれた人間の「停滞感」がありません。

協調、友愛、平等。そういう価値観は多くの人のしあわせにつながるものですが、
優越や差別を助長するだけの言葉には、その先がありません。

日本の優秀な子どもたちが、しばしば他人との差別化そのものを目的としている姿を見聞することがありますが、それはやがて行き詰ってしまうように思います。

何回か前の第九回の「花燃ゆ」(NHK大河)の中で、吉田松陰が高杉晋作に語りかけていました。

「あなたは何を志しますか」

いい問いだなと思いました。
また、「人生がつまらない」という高杉晋作に対して、
久坂玄瑞がいいました。

「それはお前がつまらん人間だからじゃ」

時代を大きく動かすことになる、身分の様々な若者たちが、
吉田松陰のもとから一気に時代に飛び出してくるその秘密は、
「志」という言葉にあるように思います。

「お前らが天下国家を論じて何になる」
と馬鹿にされるシーンもありましたが、彼らは未来の日本を異国から滅ぼされない強い国にしたいという志に燃えていたのかもしれません。

志 =「士の心」

士というのは、男性のことだけを指す言葉だとの一面もあるようですが、ひろくいえば「立派な人間」という意味もあるみたい。
うちでも「志」という言葉は、小さい頃から教えてきました。
そして人間の器を何倍にも広げるのは、まさに「志」によるところが大きいと感じます。

オリンピックで金メダルを取る人は、間違いなく、子どもの頃から「金メダルを取る」と言っていたはず。
持って生まれた能力と努力だけでなく、それらを支え開花させた部分には「強い気持ち」があったと思います。

また、自分のことだけが目標の場合よりも、
異なる誰かのために頑張ることで、力を出す側面があるかもしれません。
むかし、走れメロスを読んだとき、走り続けるその先に、待ってる友達がいるから走っているんだなと感じたことがあります。

また一流の方は「御礼の言葉」「御礼の気持ち」をよく表されます。
これもまた他者を意識した生き方が表出しているのかな。

他者のため、といいますが、
他者のためだけに生きると言うのは自己犠牲的になってしまいます。
一方で、自分のためだけに生きるっていうのも、つまらない。

自他ともに栄えていくような感覚で、世界の「負の出来事」に挑戦していけるような子になってほしいと願います。

まったくの普通の家の子たちであるうちの子たちが、ここ一番の勝負事に強くなってきているのは、たぶん、行きたい世界がはっきりしてきていることと関係があるように感じています。

「花燃ゆ」を見ながら、たった一箇所の私塾(それも犯罪者の塾)から陸続と人が育った理由を探していると、参考になる部分がたくさんあるものです。