〜ドイツからのお便りです〜
5月8日はヨーロッパの第二次世界大戦の終戦記念日です。
今年は75周年であるため、大々的な犠牲者追悼式典がベルリンで行われるはずでしたが、
コロナパンデミックのため、来賓なしの式典となりました。
この式典の中でドイツのシュタインマイアー大統領がスピーチしましたので、
それを翻訳してみました。
長大なスピーチだったため、コロナパンデミック、EUに関する話は割愛させていただきました。
☆大統領はドイツ連邦共和国の国家元首であり、 政治的には中立で、主に儀礼的、形式的な職務を行っています。
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75年前の今日、ヨーロッパにおける第二次世界大戦は終わりました。
ナチズムによる独裁政治、空襲の夜、死の行進、すべてのドイツ人による犯罪、ホロコーストによる文明破壊、それらが1945年5月8日に終わったのです。
絶滅戦争が計画され、発令されたのはここベルリンであり、戦争は徹底的な破壊と共に再びベルリンに戻ってきました。
今日、私たちはベルリンでそのことを一緒に思い出しましょう。
私たちは共に思い出したいのです。
多くの犠牲者を出したこの戦争からヨーロッパを解放した連合国の代表の方々と共に。
ドイツ占領時に苦しみを与えたにもかかわらず今は和解してくれているヨーロッパのパートナーの国々と共に。
ドイツの犯罪を生き延びた方々、犠牲者の子孫の方々、そして私たちに手を差し伸べて下さった方々と共に。
この国に新しくスタートするチャンスを与えてくださった世界中の方々と共に。
私たちはドイツの高齢者の方々と共に思い出したいのです。
子供の時、飢餓、追放、暴力、引き揚げに苦しみ、戦後は東と西でそれぞれの国の再建に貢献したことを。
私たちは三世代あとに生まれた若者たちと共に思い出したいのです。
そして彼らが過去とどう向き合って行くべきかを伝えたいのです。
「この恐ろしい戦争から得た教訓を未来に引き継いでいくか否か、それは君たち次第だ!」と。
だからこそ、今日、世界中から1000人の若者をベルリンに招待したのです。
何代か前は敵同士であったのに、今日は友人になれるのです。
本来ならば今日5月8日を、皆さんと共に祈念したかったのですが、コロナパンデミックにより、それぞれ離れた場所でひとりぼっちで思い出すことになりました。
もしかしたら、この孤独は1945年5月8日に私たちを引き戻してくれるかもしれません。
なぜならば当時、ドイツはひとりぼっちだったからです。
ドイツは敗戦により政治的にも経済的にもどん底で、モラルも崩壊していました。
私たちは世界を敵に回したのです。
75年後の今日、私たちはひとりぼっちで祈念しなければなりません。
・・・いいえ、ひとりではありません!
ドイツは統一30周年を迎え、現在は平和なヨーロッパ連合の中で強固で安定した民主主義を享受し、世界の国々との協力により、信頼を得ることが出来ているのです。
私たちにとって、解放記念日は感謝の日であると言っても良いでしょう。
心からそれを言えるまでに、3世代かかりました。
確かに1945年5月8日は解放の日でした。
しかし、まだそのあともずっとドイツ人の頭も心もほとんど変わっていなかったのです。
解放は1945年に外部からやってきました。
内側からの解放は有り得なかったのです。
それほどまでにこの国は自ら招いた不幸と、負わなければならない責任にがんじがらめになっていました。
旧西ドイツの経済復興と新しい民主主義は、かつて敵国だった国々の寛大さ、思いやり、和解なしには有り得ませんでした。
私たち自身、解放を知っていますが、それは心の中の解放です。
しかし、1945年5月8日に解放されたわけではありません。
そのあともずっと長く続く苦しい道のりだったのです。
当時は犯罪を知っていたのでは?
共犯者だったのでは?
といった苦しい質問を、家族からもその次の世代からも浴びせられ、彼らは沈黙と隠蔽という方法を使って闘うしかありませんでした。
それから数十年を経て、私たちの世代のドイツ人たちが少しずつ平和を築いていきました。
数十年を経て、欧州統合への参加、慎重な東方外交による和解を実現したことで、近隣諸国からの信頼を回復していったのです。
数十年を経て、最も幸せな解放の瞬間がありました。
勇気と自由への希求が東独の壁を解き放ち、平和的革命がドイツ再統一に導いたのです。
この歴史的な闘いの数十年があってこそ、ドイツ民主主義は育つことが出来たのです。
そしてこの闘いは今も続いており、「思い出す」という行為は終わりません。
私たちの歴史からの解放はないのです。
思い出すことを辞めてしまったら、私たちの未来を失うことになるからです。
私たちドイツ人が歴史と対峙し、歴史的責任を受け入れたとき、世界中の人々は私たちに新たなる信頼を寄せてくれました。
そうして初めて私たち自身がこの国を信じることが許されるのです。
これこそが啓蒙された民主的な愛国心なのです。
ドイツの愛国心は傷を負っています。
光と影、喜びと悲しみ、感謝と恥に目を向けずに、ドイツの愛国心は有り得ません。
ラビ・ナフマン(※18世紀のユダヤ教ラビ)は言いました。
「傷ついた心ほど完全な心はない」。
ドイツの歴史は傷ついた歴史です。
何百万人もの命を奪い、何百万人もの人々を苦しめました。
そして今、その事実が私たちの心を苦しめます。
だからこそ、傷ついた心で私たちはこの国を愛することができるのです。
それに耐えられない者、もう終わりにしたいと願う者は、戦争とナチス独裁国家がもたらした悲劇に眼を背けているだけではありません。
私たちがこれまで獲得してきた善なるものすべての価値を奪い、民主主義の本質を否定しようとしているのです。
「人間の尊厳は不可侵である」。
この連邦基本法第一条は明白に私たちに教えてくれます。
アウシュヴィッツで、戦争で、独裁国家で何が行われていたか。
「過去に目を向ける」という行為に罪悪感を感じる必要はありません。
「過去に目を向ける」ことを拒むことこそが罪なのです。
責任を感じることは恥ではありません。否定することが恥なのです。
75年を経て、私たちの歴史的責任は何を意味しているでしょう?
現在、私たちが感じている感謝を軽視してはいけません。
逆です。 過去を思うことは責任を負うことでもあるのです。
すべてのドイツ人にお願いします。
今日、戦争とナチズムの被害者のために静かに祈りましょう。
あなたのルーツに関係なく、あなたの家族、私たちの国の歴史について考えてみてください。
解放とは何か、5月8日はあなたの人生と行動にどんな意味があるのか。
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ドイツからの報告でした。
さて、同じ戦争を経験した日本ですが、
第二次世界大戦について、
私たちは、ちゃんと過去を振り返っているでしょうか?
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