貞享2年3月、31才の時に八丈島へ流罪、元禄2年閏正月4日、36才の時に島で一緒になった妻と火に入って自害した。
中将院は、大納言坊城俊完卿(だいなごんぼうじょうしゅんかんきょう)の末子で修験法を会得し、当時夜な夜な現れて通りかかりの女、子供に悪ふざけをする鬼を退治して諏訪の庁に鎮め祀って以来、鬼の悪ふざけをする心配がなくなり、樫立村の村民は彼を神として尊崇したといわれている。
明治初年頃には、水田の真ん中に石室があったというが、現在は水田がなくなって畑の中の一角にある。
中将院の石室
〒100-1621 東京都八丈島八丈町樫立
バス停[樫立郵便局前]より徒歩10分