浅沼次作先生顕彰碑に行く途中の鴨川手前の左手の畑の中に立っている碑である。明治14年に帰島した富蔵が最晩年に住んだ所であるが、実際の場所は碑のある所ではなく、川に近い椿の木の辺りにあばら家があったという。
富蔵の元の住居は、明治13(1880)年に赦免されて出島するまでは、むつみ保育園前の道を都道を横切ってから150m程行った左手にあったと思われる。
近藤富蔵居宅之跡の碑
〒100-1511 東京都八丈島八丈町三根
むつみ保育園前の道を尾崎橋に向かって行き、橋の左手前の畑が住居のあった所で、碑への入り口は、その畑の都道に一番近い所にある。