青柳 政司!! | 総帥日記

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青柳 政司。


最近はNOAHの名古屋大会を中心に"プロレス活動"を行っていた空手家で、齋藤 彰俊や松永 光弘の師匠としても知られている誠心会館・館長。

昨年には網膜はく離の悪化により左目の失明も公表したが、NOAHでは"名古屋維新軍"として元気にリングに上がっていたのだが…


以下はNOAHを通じて館長が発表したコメント(原文のまま)


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 「私、誠会館館長、青柳政司は6月1日をもちましてプロレスを引退をする決意をしました。

理由は体力の若干の衰えもありますが、何とか60歳までは続けて行けたら、と思っていました。



5月9日に気分を変えて仲間とハーレーダビッドソンでツーリングに出かけました。

少し雨が降ったので食事をして帰る事にしました。

午後3時頃、館長のバイクめがけてスピンをしたスポーツカーと激突しました。


館長の記憶はそこまでしかありません。

数メートル跳ね飛ばされ、意識不明の重体でした、

気づいた時は病院で、即手術でした。


怪我の内容ですが、館長の右足はバイクのステップとエンジンの間に挟まれたそうです。

鉄のマフラーが裂けるくらいぐらいでした。

右足膝から下は小さな骨折を入れますと30ヶ所の粉砕骨折。

ばい菌が入ると切断します、と言われました。


もうリングに戻ることはできないと言われ、よく考えて決断をしました。


もう館長は蹴ることができません。


今は早く歩けるようにリハビリを頑張るだけです。


FMW、パイオニア、新日本プロレス、東京プロレス、ZERO1、そのほかの団体、

そしてプロレスリング・ノアには大変お世話になりました。

ありがとうございました。」


2015年6月1日

誠心会館館長  青柳政司


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青柳は空手家として活動していたが、「格闘技の祭典」で出会った大仁田 厚と抗争を展開。

そのまま1989年10月のFMW旗揚げ戦(vs大仁田 厚 戦)でプロレス・デビューを果たす。


弟子の松永光弘(引退)と"プロレス・バカ"剛 竜馬率いるパイオニア戦志に参戦後(パイオニアは崩壊)

1990年6月からは新日本プロレスに定期参戦。

こちらには同じく門下生の齋藤 彰俊(現 NOAH)を引き連れ越中らと抗争。その後、その越中らの"反選手会同盟"(後の"平成維新軍")に合流し新日本・本体との抗争に突入する。


2000年からは彰俊とともにNOAHに登場し、名古屋大会を中心に参戦していた。



(左から)

(小原道由、ザ・グレート・カブキ、越中詩郎、青柳政司、齋藤彰俊、小林邦昭、木村健吾、後藤達俊)



ハッキリ言ってプロレスラーとしては大きな実績を残したわけではないが、決して大きくないそのカラダから発散される"殺気"や"気合"などは「さすがは格闘家!」と思えるモノがあり、最近ではスポールティバのヤス&ヒデの久保田ブラザーズとともに"名古屋維新軍"を名乗りNOAHの前座戦線で"喝"を入れ続けていた。


「もう館長は蹴ることができません」


とにかく今は、1日も早い回復を祈っています。

館長、長い間 お疲れ様でした。


なお、NOAHでは館長の回復を待って「引退セレモニー」の開催を検討中。

日時、会場などについては決定次第発表されるとのこと。