クマソー心模様 -2ページ目

だまって逝くのかマリン。

雨だった。

連日降り止まない雪が雨に変わった事を喜ばしく思いつつも、

あまりの土砂降りに出勤日であることを軽く呪った。

本来は非番だったのが、同僚の急病で代行を務めることになったからだ。

おかげで13日間連続勤務である。

私事もこなし難く、睡眠時間が不足しがちで

起床が少し遅くなり、慌しく家を出た。


雨であるから気温は高めで、朝にストーブを焚く必要が無かった。

車の暖機運転も不要だった。

季節は確かに変わろうとしている。


めざましテレビで、

中村仁美の出産と中野美奈子の引退が報じられていた。

アナバンも終わった。

アイドルリーグも終わった。

新年度に向け、世の中は変わり出している。


うちの会社も、4月の異動で良い方向へ向かい出している様だ。

ここにきてようやく、本当の復旧を遂げるに違いない。


春になれば、何かが変わる。

きっと、良い方向に向かう。


前田敦子の脱退はその前兆に違いあるまい。

一年以上ずっと楽しみにしてきたウルトラ映画を見られなくされてしまった、

その困苦を耐え忍ぶことが報われないはずは無い。


生憎の雨でも、

連日の勤務で疲れを感じてはいても、

いくつかの瑣末な問題を目前に抱えてはいても、

どこか心は晴れやかだった。




会社に着くと、携帯が反応した。


母からのメールが、

実家の愛犬、マリンの死を告げた。











あと数カ月で14歳を迎えようという老婆犬だった。

もってあと2、3日と医者に宣告されてから22日間も生き続けた。

大往生だったのだろう。


再び、今日が出勤日になってしまったことを呪った。

行ったからといってどうなるというものでもないが、駆けつけたかった。

灰になる前に、最期の姿を見たかった。

この手で触れたかった。

せめて、火葬場まで付いて行きたかった。










タフな犬だった。

血統書ではポメラニアンということになっていたが、

いわゆるポメラニアンの、3倍くらい大きかった。

鼻が尖り、毛もぱやぱやで、

ポメというよりは、茶色いスピッツだった。

やんちゃで、我家の主だった。



以前に、

母が知り合いから奪うように、半ば強引に引取ってきた、

ココという名の

こちらは正真正銘のポメラニアンを

7歳の若さで亡くしてしまっていた。


苦しみながら逝ったその死が辛すぎて、

もう生き物を飼うのはやめようと皆が言うのを

強引に覆したのは僕だった。


悔しかったのだ。

死なせてしまった事がとても悔しかった。


悔しいから別の犬を飼うという事が正しい事なのかは分からない。

いや、きっと間違っているのだろう。

でも僕は、保健所から引取ってくるとまで言い張った。


家族も折れ、というかなんかその気になって、

近くのペットショップへ出掛けた。

3匹いた中で一際元気で、

僕の身体をよじ登って来たちょっと大柄な仔が

我家のマリンになった。




ティッシュペーパーが大好きで、

ゴミ箱の中にダイブし、人が鼻をかんだものを一心不乱に噛み千切った。

以来、家のゴミ箱は常に高い場所に置かれるようになった。

噛むとぴーぴー笛が鳴るオモチャを与えると狂ったように噛みまくり、

せっかく買ってきたのにものの数秒で音が鳴らないように壊してしまった。

炬燵でコーヒーを飲んでいた母に向かって、

おもむろに天板の上から飛びかかった事もある。

全身にコーヒーを浴びて大火傷しそうになった母は、

一日中怒ってマリンに物を投げ続けた。

顔をぺろぺろ舐めに来るときに、

何故か牙を剥いてゴジラの様な恐ろしい形相で迫って来るので

舐められるのか噛まれるのかとてもドキドキした。


子犬の頃からちょっと大柄だったが、

成長するにつれみるみる巨大化し、

紛れも無い中型犬になった。

放射能でも浴びたのかと思った。今の時期には不謹慎な発言だけれども。

ポメとは思えない長時間、長距離の散歩を平然とこなした。

人が引っ張られるくらいパワフルだった。



一方で、病気の多い犬でもあった。

元々ぱやぱやだった毛は、歳を取るにつれ抜け落ちていき

晩年は顔だけはかろうじて生えていたが、首から下はほぼ全裸のようになった。

皮膚病によるもので、剥き出しの地肌はカサブタだらけで痒さに苦しんでいた。

目は白内障になり、晩年はほぼ視力を失っていた。

手術も2回受けた。

うち1回は、皆死を覚悟したほど弱っていたが、

術後はケロッと元気になった。

この子はなかなかしぶといね、と皆で笑った。


しかし最近はさすがに年齢を感じさせるようになり、

歩くのもやっとという感じで、一日中ほぼ寝てばかりになっていた。

それでも自力でトイレまで歩いて行けていたのが、

次第に抱き抱えて連れて行くことが多くなってきた。



ある日、トイレを済ませて歩き出したところ、

ガクッとへたり込んで、ゼーゼーと呼吸を荒げたという。


医師からあと2、3日と宣告されたのは、

腎不全により肺に水が溜まり、心不全に至っていたからだった。

前に亡くしたココと同じ症状だった。


病状を知らされたのはそれから3日後の夜、別件で連絡したときであった。

動揺して事故でも起こされたらと、知らせずにいたという。

ふざけるな、と思った。

そんなにヤワじゃないし、死んでから知らされた方がよっぽど動揺する。

すぐに駆けつけたかったが、翌日は仕事で無理だった。

早く知っていればいくらでも帰る機会はあったのに。


仕事の合間に様子を聞くと、

まだ平静でいる、お前が来るのを待っているようだ、早く来い、

と言う。

知らせずにおいて何を。

翌朝仕事終わりにすぐ駆けつけて間に合うか。

せめてぎりぎり、看取る事が出来れば。

気が気でなかった。

成程、確かに僕は動揺していた。

ぎりぎりまで知らされなかったせいで、したたか動揺していた。



翌日帰り着くと、

マリンは何事も無かったかのように、呑気に寝ていた。

まるでいつもと変わらず、苦しげな様子も無い。

拍子抜けした。

とても死にそうには見えない。


それでも、もう歩くどころか、立っていることも出来なくなっているのだという。


過度に刺激しないよう、そっと撫でてみる。

いつもと変わらぬ反応に安心する。

すると、やおらむっくと起き上がり、布団から這い出てのそのそと歩き始めた。

あら、随分元気になったよ、と母。

死の直前に急に元気になるという現象ではと不安を覚えつつも、

僕の帰宅を喜んでくれている様に感じられて嬉しかった。


そのまま3日間居座り様子を見守ったが、至って元気なままだった。

殆どものを食べず、水だけで生き延びている感じだったが、

トイレに歩いたり、立っていたりは出来るようだった。

そんななか、数週間後の僕の誕生日を祝して

家族で温泉にでも、という話になった。

今まではマリンの世話のために全員で出掛ける事は出来ずにいたのだが、

それまでにはマリンも死んでるだろうし、という不謹慎な計画であった。

もし死ななかったら母が留守番し、僕と父の二人で行くということに。

家族で最期に旅行したのは、いつだったか思い出せないくらい

昔の事となっていた。。


今後は何かあったら必ず知らせる様きつく言い置き、

毎日様子を知らせるとの確約を得て、仕事のためアパートへと引き返した。

数日間、変わらず食べないが死にそうな気配は無い、というメールが続き、

あまりに変化が無い為毎日の連絡が数日置きになり、

呑気なやり取りになっていった。

このままじゃあたし温泉行けないわ。

半分残念そうに、半分嬉しそうに母が繰り返した。

段々、本当に留守番する事になりそうになってきて、

温泉は誕生日に合わせなくてもいいから、

一旦キャンセルしてまた後日計画しようか、という話になってきた。



知らせは突然もたらされた。


朝、いつも通りにトイレに立たせると、

嘔吐し、くずおれ、そのまま動かなくなった。

あまりに静かに逝ったので、

死んだのかどうかすぐには分からなかった程だったという。


その日の内に火葬し、お骨を引取って来る、

お骨はお前が来るまでそのままにしておくから休みの日にゆっくり来い、

と言われた。

仕事が込んでいて、数日間休みが無かったのだ。

確かにすぐに行ったからといってどうなるものでもなかった。

部屋ももう片付けられ、マリンが死んだ時の痕跡も、

あるいはマリンが生きていた痕跡すら無くなっており、

お骨と対面するだけなのだから。

それでも翌朝仕事を終え、その足で実家へ走った。

仕事のため、その日の内に戻らなければならない強行軍ではあったが、

なんだか先延ばしにはしたくなかった。


小さな袋に、小さな小さな骨が入っていた。

10㎏もあった巨体が、両手で掬えるくらいに小さくなっていた。



お骨は庭に埋める事にした。

ペットの骨を庭に埋めるのは風水等で絶対的タブーであると聞いた事があり、

事実、前にココを庭に埋葬した結果、家が人手に渡り

もはやお参りする事も出来なくなった経験もあるため躊躇いはあったものの、

雑然としてあまり気持ちの良いとは言えないペット霊園に預ける気には

どうしてもならず、庭で土に返すのが最良であると思えた。

いかにも墓然とした風ではなく、目印程度の小さな石を置いた。

生花を用意していなかったが、母が造花のくすんだ黄色の薔薇を2輪差した。

なんだか面白い墓になってしまったが、我家らしいというか、

マリンらしく思えた。


温泉キャンセルするとかしないとか騒いでたから

気を遣って死んでくれたんじゃないの、と言うと、

そうだね、最期まで全く手がかからなかったし、

本当に良い子だったわ、と母が返した。

ココは何故か僕に懐いてくれたが、

マリンは母にべったりで、母がいないとどうしようもない子だった。

それだけに母にとってもマリンの存在はかけがえのないものだったようだ。



ココを埋めた家を手放した頃、我家は崩壊寸前だった。

いや、確かに、家族は一度、崩壊した。

それが今、こうしてまがりなりにも家族の形を成しているのは、

役に立たない子に代わり、かすがいとなってくれたマリンのおかげであった。


いく度かの崩壊の危機を乗り越えてきた我家には、

この先もまだまだ色々な出来事が待ち構えているのかもしれない。

しかし、家族としての形は留めて行く様な気がしている。

マリンの眠るこの土地で、僕たちは変わらず家族であり続ける。


記憶の片隅からすら消え去ってしまった、本当に久しぶりの家族旅行は、

マリンからの最期の贈り物のように思えた。

やっぱダメだ…。

いたく冷静に受け止めていたつもりでした。



5期生募集がかかった時から予想はしていましたし、

ライブでの今にも泣き出しそうな表情に予感もありました。




第一報のホリプロからのメールを、


ああ、やっぱりか…。


と冷静に受け止め、

極度に驚いたり、

嘆き悲しんだり、

大きなショックを受けるということもなく


その日は色々とやるべき事があったので、

普段と何ら変わりなく淡々とこなしていました。

普通にテレビを見て、普通に笑っていました。




夜になるにつれて、

気持ちが沈み、

溜息しか出なくなりました。


他の事を何も考えられなくなりました。




冷静だったのではなく、

あまりにもショックが大き過ぎて

受け止められなかったみたいです。

自己防衛本能が働いて、

事実を認識しない様にしていたのかもしれません。





1期生全員か、

1期生と2期生から4、5人くらい卒業かな、

と予想していたところを

この2人だけ、というのが


どうしてこの2人だけ…?


という思いがどうしても拭えず、

より気持ちを沈ませます。






週刊アスキーが近所で手に入らず、

発売を確認しようと公式サイトを訪れると、

2人の卒業の記事が載っていました。


とても良い記事でした。


とうとう涙を抑えられなくなりました。








アヤパンが辞め、

中村仁美が結婚し、

RYTHEMが解散、

地震が起こり、

ウルトラの世界がAKBに汚され…


何という一年…



そしてトドメに…







5年間、 ですもの…




やっぱりダメです…。

絶句……

それはそれは、


それはそれは、

楽しみにしていたウルトラ映画。






ナンデコンナトコニマデAKBガデテクンノ……怒怒怒怒怒!!!!!






ふざけんな円谷。



どうかウルトラマンの神秘の力で

この世からAKBが消え去ります様に……。


敢えて触れないブログ。

宮城地区独占放送という、

音王MUSIO以来の優越感に浸った「キボウノミチ」。


まぁ、もう仙台人ではありませんけどね。

仙台の実家にレコーダーを設置したままにしてあるので、

録画は出来るのです。



当日は仕事で直接オンエアーを観られなかったので、

数日前に仙台に帰り録画予約。

番組表で予約するのは一週間前にならないと出来ないので、

このためだけにわざわざ帰仙するという執拗さで。



すぐに観に行きたい衝動を抱えながらも仕事がたて込んで、

今月4日にようやく帰る事が出来ました。

逸る気持ちを抑え、レコーダーを起動すると……



録れてません。


予約一覧に綺麗に予約が残っています。





まぁ事前に情報を得ていたので分かってたんですけどね。

スポーツ中継か何かの延長で放送時間が大幅にずれたそうです。

ある程度の延長はレコーダーも対応してくれますが、

ずれ過ぎると認識してくれないみたいで。

事前に分かってなかったら大パニックでしたよ…。





しかーし。

放送の大分前から、しっかりDVDを予約していたので問題なーし。


かくして、

ようやく仕事も落ち着いて久々の休みの今日、

満を持して視聴致しました。



ロケ地の殆どが馴染みのある場所で、

やっぱり何か嬉しいもんですね。

通勤で毎日通っていた場所も多く、

会社が仙台で復旧出来ていたらロケに遭遇出来ていたかも。

なんてストーカーチックな事を思ったり。


とにかく、ルーリーが仙台の地で撮影をしたと言う事が

なんだかとても嬉しいんですねー。

走っているシーンとか料理のシーンとかは

うわ、大丈夫かなーと変な風に気になったり、

マイクがガッチリ映り込んでるシーンに驚いたりしましたが、

アイドリング!!!も全面にフィーチャーしてくれてて

とっても良いドラマでした。

震災の悲惨さを前面に出さず、

あくまで爽やかな仕上がりで。



やっぱりオンエア版も観たかったですけどね。

内容同じでも、放送した事実を観たかったというか。

変態なもんでね。




アイドリング!!!も最近は個人の出演が増えてきて、

特定の地域でしか放送しない番組など観られない事も多いですが

山形と仙台と、二つの録画拠点が出来たおかげで

思いの外観られています。

5年間かけて熟成されてきたアイドリング!!!への思いは

震災を経ても住環境が変わっても

薄れるどころか益々強くなるばかり。


今日という日を以てしても、

それは何ら変わる事はありません。

大ショック。

苦労している雑誌購入のなかで、

最も入手に苦労するのが「地球の鉱物」。

とにかく扱っている店が少なく、

山形は勿論、仙台でもなかなか買えません。

こういうコレクション誌の常で、

刊が進むにつれて入荷数や取扱店が減っていき

発売日すぐに買わないと無くなっちゃう。

仕事の合間を縫って米沢や仙台まで買いに行かないといけないので

そんなすぐには行けないよー。


しかし、

最新号が99号。

来週、遂に100号。


あと1回。

あと1回買えばお終いです。



しばらく前、

一体何号まで出るのかな~と

公式サイトを見てみましたら、

全100号の予定と書かれていたのです。



震災後、

雑誌の入手が非常に困難になった状況下、

80号台を必死に買い求めていた頃から

もう少し、もう少し、

と、この日をずっと待ち侘びてきたのです。




仙台でやはり苦労して買い求めてきた99号の封を開け、

次号予告には「遂に堂々の完結!!」とか書いてるのかなーと

ワクワクしながらページをめくると……




第100号は

101~120号の鉱物を収納するコレクションボックス付き!!






終わんねーのかよ!!!



一体どこまで続くのだと目の前が真っ暗に…。




これで大分雑誌購入活動も楽になるなーとか、

結構置き場所とるから完結したら実家に持って行っちゃえば

押入使い易くなるなーとか、

とっても幸せな気分に包まれていたのに…。





そこまで辛いなら買うなよ。

てか定期購読すれば簡単なんですけどね。

留守がちなので受取が面倒なのと、

やっぱり店頭で見比べてより良い石を選びたいんですよね。



改めて公式サイトを見ると、

120号で完結だそうです。

今度は予定ではなく言い切っているので大丈夫でしょう。



あとたった20号だ。頑張ろう!!




……20号ってことは、10ヵ月間ね…。