国旗「日の丸」
世界の国旗には、それぞれの建国の由来や理想があらわされています。
たとえば、アメリカ合衆国の星条旗には、
独立した当時の13州を示す条線と、現在の合衆国を構成する50州を示す星が描かれています。
またフランスの三色旗には、
市民革命の旗印とされた自由、平等、博愛が青、白、赤の三色で示されています。
この点、日本の国旗となった「日の丸」は、さらに古い歴史をもっています。
赤い丸は、万物に恵みをもたらす太陽を形どったものであり、
皇祖神を“天照大神”と仰ぐ日本人が考えだした最もシンプルなデザインです。
その早い例は、王朝時代の元日朝賀や即位の儀場に掲げられた「日章」の幡にみえます。
やがて、源平以来の武士たちは、扇面に好んで日の丸を描きました。
また建武中興を敢行された後醍醐天皇は、日の丸を旗印として掲げられたと伝えられます。
さらに秀吉・家康の時代に活躍した御朱印船には、朱の丸が旗章に使われています。
やがて幕末に至り、外船がしきりに来航し、また諸大名も大船を造るようになったので、
幕府は安政元年(1854)7月、日本船が異国船と紛れないよう、
「白地に日の丸の幟」を「日本の惣船印」と定め布告しました。
ついで維新政府は、明治3年(1870)の1月27日、太政官布告により郵船商船規則を公布し、
その中で正式に「御国旗之事」を定めました。
それによれば、国旗の寸法は、縦70、横100の比率の白地に、
赤い日章の直径は縦の5分の3となっています。
この1月27日が「国旗制定記念日」です。
くもりなき朝日のはたにあまてらす神のみいづをあふげ国民。
国旗を掲げない、現在の日本国国旗を否定する、国歌を否定し、国歌を歌わない・・・
国のためを思い、身を挺してこの国の将来を憂い、
それを国旗、国歌に託し、命を落としていった人たちの思い、願い、知恵を無駄にして、
同じ日本人として寂しい行為をする輩がいますが、
どうして、そんなことが簡単にできるのか。
不思議でしょうがない。
国旗・国歌、それぞれに生まれがあり、歴史があり、日本という国を表している。
国旗・国歌否定は、日本という国の存在否定に他ならない。
この国旗と共に歩んできた日本。
この国歌と共に歩んできた日本。
これは、消すことのできない事実であり、
古来より授かりしものであるが故に、日本の心として、
子孫へと授けなければならない。
これは、この地球上に日本民族が存在する限り、
未来永劫守らなくてはならないものだと思う。
先祖代々伝わる伝統とはそういうものだろう。
自分に対して、国旗と国歌が演奏され、掲げられたことがあるだろうか。
自分が日本人であり、日本人であることに感謝し、
日本という国の存在を感じ、何とも言い難い震えが身を走る。
自分の中に日本はあって、日本の中に自分がある・・・
そう。日本と自分の心が共鳴し合う。
「あぁ、やっぱりおれは、日本人なんだなっ」
って、少し微笑みながらも思う瞬間なのである。